2021年2月26日金曜日

局員になるまで

 さて、昨日のブログで書いた通り、自分をもう少しさらけ出していいのかなと思いました。

と、いうことで僕が郵便局員になる経緯を書き綴ってみようと思います。

あんなに避けていたのにねぇ、単純な人間です。


まず僕が専門学校時代、新聞奨学生であったことは今までもちょっと書いていたんですけど。

その流れでずっと新聞配達のバイトを住み込みでさせていただいていて、演劇や Shiny's と並行して29歳までやってました。

しかし、新聞は現代、部数を維持するのが難しいです。

僕は契約などはしていなかったけど、ずっとここでバイトをしていていいのかな、と 30歳前に真剣に考えたことがありました。

そのあとバイトの転職をしたのですが、ことごとく上手くいかず。

今までそんなことは無かったので、さすがに落ち込みました。



上手くいかなかった中に、郵便局ではない運送の仕事をしたこともあります。

しかし、そこでは僕は劣等生でね。

朝にどうしても出社できなくなってしまい、心を病んで1ヶ月半ぐらいで辞めてしまいました。

僕は、もう運転を生業とする仕事には就けないなと思いました。

新聞時代にピザ屋のバイトをしたときに、交通事故で足首の骨を折る大ケガをしたこともあります。

元々、運転のセンスないんだろうなと。

痛感したんです。


しかし、本屋でバイトをしていたときに、とあるお寿司屋さんでバイクドライバーを募集していたことがあった。

本屋の給料が安くてまともに生活ができなくて、迷ったんだけどもう一度ドライバーをやってみることにしたんです。副業として。

専門学校の前は寿司屋の社員だったことも決断を後押しした。


そしたら、まぁ、活躍できたんですよ(笑)

少し自分を肯定できた。

そのあとそのお店が無くなってしまって、本屋さんも辞めて、郵便局に転職した訳です。


色んなことがあるし、沢山辞めたくもなるけれど。

シャイニーズとしての僕の都合を考えてくれる上司にも恵まれて、人並みに稼げる今の環境があるのはありがたいことです。


僕の半生を振り返ってみました。

ただ、それだけだね(笑)。


これからもシャイニーズ頑張りますので。

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