2020年2月29日土曜日

うるう年なんだよ


今日は四年に一度の閏年でございます。
四年前、皆さんは何をしていたか、覚えていますでしょうか?

僕たちShiny'sは、グリゲアリアス亀という今や幻のユニットとツーマンライブをやっていました。
「四年に一度のスワップタイム」というタイトルで、お互いの相方を組み換えたシャッフルユニットを創って演奏していた。
いやぁ、楽しかったなぁ。
色々あって、今年は実現できなかったけど。

大阪のライブハウスでもコロナウイルスかぁ。
これからライブハウスの演奏も色々難しくなってくるんだろうなぁ。
とりあえず僕たちはレコーディングを頑張るだけだけど。

もう一度言いますが、今日は閏年なんだぞ。
みんな忘れがちかもしれんけど。
四年に一度のこの日を、コロナウイルスにさらわれたくないね。

他のことを考えて忘れさせる。
音楽にはその力があると思っているよ。

2020年2月28日金曜日

誇って良い 一日

できることはできる限りやって

やれることはやれるだけやって

力の限り頑張った人に伝えられることは

お疲れ様。
よく頑張ったね。
それだけです。

まだやれたとか
努力が足りなかったとか

そんなのは事情を知らない人間が言うこと。 

気にしなくていい。


手を抜かないでやりきった姿は誇っていい。
それは自分が決めればいい。


自分のことを認めることは、
誰の許可もいらない。

あなたはどうですか?

僕はカッコいいと思うよ。

2020年2月27日木曜日

悲劇には希望で

今日は実家近くの名所の桜並木を歩いた。
例年人で溢れているらしいが、人は激減しているようだ。
観光産業で生活している人達は大変だろうなぁ。
でも、皆さんたくましく商売されていたよ。
それが愛しかった。

コロナウイルスで沢山の影響が出ていますね。
オリンピックの延期や中止なんて話もあります。
人間様は、やはりこういうときに無力なただの動物なのだと自覚させられる。

他人事ではないし、どうしようもないという気持ちもある。

ただ、こういうときに希望を見出だせるのも人間様なのだぞ。

熊本市長の大西さんが
「新型コロナの影響で行きたかったライブに行けない方も多いと思いますが、こういう時だからこそ発想転換してCDやDVDを買ったり配信サイトで楽曲を再生しまくったりYouTubeチャンネルを登録したりして楽しみながら次のライブに備えてはいかがでしょう?アーティストの方々もきっと喜ばれると思います♪」(原文)
とツイートされていた。
正に。
優しい強さだと思う。

無観客ライブとか、滞在先のホテルで配信をされるアーティストの方もみかけた。
悲劇には希望で迎え撃っていく。
そうだろ。


個人的にプライベートで、少し大変なことが起きた。
僕もただでは起きない。

必ず笑顔や、感謝に変えて生きていくぞ。
くそったれぃ。
負けないでいこうじゃないか。


人間だもの。

2020年2月26日水曜日

退屈しない

今日は結婚式の引き出物のカタログギフトで選んだ「温泉日帰り入浴券」を使って温泉に入ってきた。


昨今の温泉は、種類が非常に多いですね。
寝湯とか、炭酸風呂、ジェットバス、電気風呂…
あとサウナとか。
僕がたまに行くスーパー銭湯はそんな感じ。
飽きさせないように何種類ものお風呂がある。

しかし今日の温泉は山の中にあり、浴槽が2つ。
露天風呂は1つ。
以上。
非常にシンプルな作りだった。

スーパー銭湯に慣れている僕は、はじめ「入るところねぇー(笑)」と思ってしまった。

しかし、裏を返せばいつも与えられるものにしか変化を感じられないということだな。

例えばスマホやテレビはそう。
発する側が常に新しく刺激的なことを提供する。
退屈されたら離れられてしまうから。
それに慣れてしまってはいけないと思う。


しかし何もないところでどれだけ感動できるか、それこそ表現者の感性の見せ所だ。
あと、せっかく山まで来たんだ。
退屈したままで損をしたら勿体ない、という貧乏性もある。
(多分9割がそれ)

肌に染み込むお湯の温度を感じたり、
湯船ごとの温度の違いを楽しんだり、
露天風呂と吹く風の融合を感じたり、
少し降っている小雨の存在を確認したり、
この旅館のシャンプーは◯◯なんだーとか思ったり、
この旅館はどのくらい営業しているのかなぁと思いを馳せたり、

沢山、感じることはあったよ。

いつもつまらないと愚痴をこぼすことはあるけれど、退屈なんかしてる暇ないのかもね。

退屈なのは多分自分の心がさせるのだ。

2020年2月25日火曜日

REASNOT再び


以前取材を受けて、インタビューをフリーペーパーにしてもらったREASNOT。
それが書籍になったという話を聞いた。

正直、インタビューされているのは我々含めまだまだ無名のミュージシャンばかり。
大手出版社の後ろ楯もないはずだ。

しかし、このリースノットを世に出したいと書籍にまでしてしまった。
編集長「紅葉」さんの熱意には恐れ入る。
勿論購入させていただいた。

REASNOTの裏にはバーコードも印字されている。
Amazonなどでも買えるみたいね。


僕らが渡した時には「読み物として、普通に面白い」
という評価をよくいただく。

紅葉さんも書いているが、音楽雑誌というよりも「生き方を紹介するメディア」にしていきたいということだ。
カテゴリーを定めずに色んな生き方を描くその方針に賛成だ。
いずれ、何代も続く老舗の店主とか、場末のスナックのママの話とかも聞いてみたい(笑)。

そうして、そうなった時には購入したREASNOT.01にプレミアが付くのだろうな。
うむうむ。

応援したいと思わせるのが、売れる才能と聞いたことがある。
我々もそれに続こう。


まだ持ってない人、若干の在庫あるから。
読んでみてや。

2020年2月24日月曜日

リアルタイムの御礼

最近思っていることがある。


ブログにはアクセス数、または閲覧数というものがあります。
ブログを始めたばかりの時は野村がブログを始めたらしいぞ、といった感じでそこそこの数があった。

そのあと、継続して見る人というのは減っていく。
内容も理屈っぽいしね。
まるでライブの集客のように閲覧数が減っていった(笑)。

大きな声では言えないが、1日のアクセス数が一桁の時もざらにあった。

本業は一応唄であるし、こんなこと続けても意味ないよなぁと思ったことも数知れず。
まぁ、それは当たり前のことだ。

しかし、半年ほど経ってきて「固定読者」っぽい人がチラホラ出てきたようだ。
一桁ということは無くなった。
ブログ面白いですよねとか、毎日よく書けますねといったお言葉もいただく。
社交辞令ではなく、本当に読んでる人が出てきたんだろうなぁ。
勿論絶対数はまだまだですけどね。


そして、最近ブログを書き、アップする。
そうすると、閲覧数が必ずすぐに何アクセスか上がるのである。
つまりアップした瞬間に見ている人がどうやらいるようなのだ。

それが最近気になっていること。

僕のブログなんて検索しても引っ掛からないだろうし、そんな釣りのワードも入れない。
よくはわからないがお気に入りにしてるとか、アップされたら通知をもらうとかの設定にしてるのかしら。


全く読まない人。
たまに読む人。
一週間まとめて読む人。
Twitterで見かけたらちょいと読む人。
毎日読む人。

色んな人がいるだろう。

しかし、リアルタイムで読んでくれている人がいるというのは何かとてもすごいことだなと思う。

どうもありがとう。

2020年2月23日日曜日

背伸びをする


昨日まで、結構忙しい日々を送っていましたので、今日は何もしないでおやすみする日にしました。
仕事はしたけどよぅ。


夜にご飯を作りたくなくて、ちっぴーと二人で外食に行こうということになりました。

理由は分からないけど「中華を食べたい」と思う。
しかし少し前、よく行っていた地元の中華屋さんが無くなってしまった。
そこで入ったことないお店に行こうということになった。

実はその無くなってしまった中華屋さんの反対側の方向にも、中華屋さんがあり、ネットの評判も悪くない。
足を向けてみた。

結局、その中華屋さんはお客さんが煙草をスパスパ吸っているのが見えて、煙草を吸わない我々は入るのをやめてしまったのだけど、隣にカレー屋さんがあった。

ディナーメニューを見ると少しお高めだ…
いつもの食事なら入らない値段設定だったが、前述の通り、最近我々は忙しかった。
ご褒美のつもりで入るのもいいんじゃないか?ということになった。
財布は厳しいけれど、歩いて来てしまったし。
少し「背伸び」して、カッコつけて入った。

そして結論から言うと、とても美味しかったのだ。
店も良い雰囲気だった。


背伸びをする、というのは少しカッコ悪いイメージがありますね。
ただ、そうすることで見える景色が変わることがあるのかもしれない。
文字通り「背伸び」すれば、目線の高さが変わるはずだ。

高いから止めとこう、と判断していたら今日のカレーには出会えなかった。
いつもなら味わえない夕食と、感覚を得られてとても満足でした。

結構長くこの街に住んで、そのカレー屋さんも存在は知っていた。しかし入ったことはなかった。
でも、入れば気に入ることもある。

まだまだ、自分の周りのことですら全て知り得ない訳です。
そんなことばっかりだよな。


シャイニーズももっと見つけてもらいたいよねえ。

ブログ読んでるあなたはもう見つけてくれてる訳ですね、サンキュー。

2020年2月22日土曜日

余韻

今日は早稲田RiNenにて、ひねくれポップファンクラブ通信とのツーマンライブでした。

セットリスト

1.伝えごと
2.もぐらの目
3.優越感

1.もう褒めてもらえない
2.てくてく
3.ダーリン
4.やりたくない
5.エントロピー


セッション

1.Here, There And Everywere(The Beatles)
2.ダンス(そして、修一郎)
3.朝風呂
4.ぼくはえんぴつ


いやはや、濃厚なツーマンライブが幕を下ろしました。
ひねくれポップのお二人の実力はブログに書いた通りなので、そこを参照していただくとして。

毎度充実したライブをやると、もっと沢山の人に聴いてもらいたかったなぁと思います。
今日は色んな人に恥じることなく聴いてもらえるライブだったと思う。
その辺はリベンジしたいもんだ。


今日は15分と30分ステージという、構成でした。
しっかり決まったのは今日のリハーサルの時。

35-40分くらいのセットリストを組んでいたため、少し慌てました(笑)
もともとセットリストに入っていなかった「もう褒めてもらえない」を歌いたいと思っていたので、加えて組み直した。
曲の流れは良かったと思うけれど、MCの準備不足は露呈したかもしれないなぁ💦。
まあ、これも実力のうちですね。
悔しいけれど。

改めて音楽をすることの楽しさ、音楽で遊ぶことの豊かさをお二人には教えてもらった気がします。
アコギ二本で演奏したアンサンブルには特にしびれたなぁー。
二人とも操ってる感じあったじゃない。

最後のセッションは、僕たちでは挑戦しえなかった演奏が沢山あったと思う。
朝風呂とぼくはえんぴつは、丁寧に衣装を着せてもらって嫁に出したような感じ。

この二人に近づけるよう、劣等感に負けぬよう、精進ですな。
落ち込むことはない。
やれることしかできんのだから。

今はこの余韻に浸りましょう。
今日も風呂に入らないんだろうなぁ(笑)

2020年2月21日金曜日

より良く生きるな


我々は倍率何倍もの競争を勝ち抜いてこの世に生まれてきたエリートだという話を聞いたことがある。
生まれながらの勝ち組。
生まれたあとはボーナスステージとも聞いた。


生まれたくて生まれた訳じゃない、なんてのは嘘で。
精子の段階から、卵子まで必死に泳いで、そこでの1等賞から始まっているはず。
生への渇望はあったはずなんだ。

文明社会の現代は、
狩りができない、農作物が採れないから明日をどうしよう…といった悩みはそこまでない。
少なくとも僕の生きる日本ではなんだかんだ満たされているから、生きるということだけなら昔ほど困難ではなさそうだ。

その代わりに、
「ただ」生きることでは満足されず。
「より良く」生きることを誰もが強いられている気がする。


より豊かに
より不自由なく
より生き甲斐を持って
より幸せに❗

そこに、
理想というものに行き着けないと苦しい。
目標というものに到達出来なければ落第したかのような敗北感。

そして、そんなことを考えて行き過ぎてしまうと

もうやめてしまおうか、とか。
いっそ消えてしまいたい。
最悪、死まで意識してしまう。

生への欲求というのは、減退するだろう。


大小あれど、こんなことを考えること、生きてればあるんじゃないかな。
不思議だよな。
死ぬ恐怖がないのに、死にたくなるのだ。



最近、懸命に懸命に生きている人に会ってきたんです。

人は何か、生きることに欲張りになっているんじゃないかな、と思い知らされた感じがしました。

より良く生きようなんておこがましい。

ただ、生きていく。
それがどれだけ大変で尊いことか。

僕は涙が出た。
自分の生き方が恥ずかしかった。

そのあとに、
自分の周りのことが全て輝いて見えた。

たとえ売れなくても信じた音楽をまだ続けられていること。
信じられる人がいること。
仕事もある、食べ物もある。
僕はどこに不満を探せばいいのだろう。

愛しい。

しばらく経てば、この気持ちは忘れてしまうのだろうか。
忘れてしまうだろうな。

なるべく覚えておきたいなと思った。

今日のブログは時間がかかったよ。

2020年2月20日木曜日

そして、修一郎という男

昨日、あまりにアツく語ってしまったので、今日は2/22のもう一人の共演者「そして、修一郎」について書いてみようと思う。

「そして、修一郎」は、修一郎さんが急に改名したことでこの名前になった。
非常に表記がめんどくさい(笑)
この記事では修一郎に統一しよう。

修一郎さんは、昨日の湯浅さんと同じく出会いは秋田犬のオープンマイクであった。
それこそ湯浅さんが連れてきたか、オープンマイク周りをしていた修一郎さんが秋田犬にも寄ったかのどちらかだと思う。

僕はどちらかというとエモーショナルな音楽を好むので、失礼ながら最初はそこまで修一郎さんの音楽に興味を持たなかった。
とても上手い人だなぁといった印象だった。
その辺は尾上ちゃんと印象が一緒だったかも。

そのあと、オバタケンの企画が蔵前であったときに、初共演。
この時もそこまで仲良くはなれなかった。
シャイ同士は大変なのだ。

この時にオバタくんが
「どこでもぶれずに同じクオリティを出せる修一郎さんはすごい」といった類いのことを言っていた。
そう言われれば本当にそうだな、と思った。

そこからだ、ようやくこの人のすごさを知ったのは。


上手いと思わせる人はすごいけれど、上手いのにそれを気づかせないという人はそれ以上にすごい。

音楽とか芝居をやると分かるけれど、本当にすごい人というのはそれをひけらかすことはない。
涼しい顔で難しいことをやってのけるから、周りからは大したことをやっていないように見える。
僕なんかは、どうだすごいだろといった顔をしたいけど、修一郎さんはしない。
自己顕示欲や劣等感があまりないのかもしれない。

あと、あの笑顔には裏がある。
こんなに人が良い訳がない、と思っていたが、未だに仮面が剥がれるのを見たことがないので、どうやら本当に人の良い人みたいだ(笑)


それ以降湯浅さんほどの結び付きはなかったのだが、修一郎さんが合同でやっている明大前のイベントに呼んでもらったことがあった。
その時にセッションで、ピンキーとキラーズの恋の季節を演奏した。

修一郎さんはベース、僕はギターでの参加だったんだけど、音楽の引き出しがこれまたすごかった。
明大前バンドのバンマスと言っていい、楽曲への理解力とアンサンブルへの責任感。
僕の尊敬リストにまた一人、名前が残った瞬間だった。

2/22のライブでもセッションがあるのだが、そのスタジオのお言葉も的確だ。


明後日の湯浅修一郎ユニット「ひねくれポップファンクラブ通信」とのツーマンライブ。
とても怖いけど、楽しみだ。
バケモノ二人のユニットに、我々もユニットとしてどう立ち向かっていくのだろう。


決めてしまってから、事の重大さに気づくことってあるよね。

2020年2月19日水曜日

湯浅秀栄という男

昔は、ラブレターのように仲間のことをブログに書いていたな、と思い出しました。

昨日、レコーディングを終えた湯浅秀栄氏について語ってみようと思います。
2/22や、参加音源への期待も高まるでしょうか。


表現する人には

素人ウケする人

演者ウケする人がいる。

我々はどちらかというと前者だ。
まず演奏が下手だし、音楽的にもそこまで高度なこともやっていない(笑)
裏を返せば「分かりやすい」のかもしれない。
単純な音楽をやっているつもりはないがね。

後者は、すごく技量が高くて変拍子とか巧みなコード進行とか、見事なスケール、フレーズ、音楽好きが唸ることをやってのける人。
だが、そんなことは音楽を知らない人には関係ない。
裏を返せば、少し分かりにくい音楽なのかもしれない。
勿論こちらの人が素人ウケしない。という訳ではない。


湯浅さんは、正直素人玄人どちらも掴んでしまう人だ。
技量としては、圧倒的に後者なのだけど。
歌詞の運び方とか、メロディの責任感とか、音の選び方とか。
それがしっかりポップスになっている。
音楽が音楽好きのためのものではないことを自覚されているのではないか。

年末の橋本GOHANのライブで湯浅さんがトリを務めたとき、観客の女性が
「すごーぃ…」
と、言っていたのを僕は聞き逃さなかった。
普通の人に届いてこその音楽だなぁと思う。
勿論嫉妬した。



湯浅さんとの出会いは、おそらく秋田犬のオープンマイク「いちゃりばちょうでぃ」だったと思う。

その頃はシャイニーズが少し「いちゃりばの常連」じみてきたころだ。
思い出せないけど、多分ビートルズのなにかしらと、聞き上手のみーちゃん(正式な表記は不明、ごめん)という曲を演奏したのだと思う。

今までつらつらと書いたことを、秋田犬のオープンマイクで演奏した二曲で、まざまざと見せつけられてしまった。
「なんだ、このおじさん。やりよるぞ?」
といった感じだ。

そこから何かしら目をかけてもらい、まず湯浅さんの企画に呼んでいただく。
セッション好きの湯浅さんに、てくてくとかぼくはえんぴつを合奏してもらう。
魔法のようでした。
やっぱりこのオヤジは怖い。

我々の企画ライブにも出演していただき、ちょこちょこ絡むようになり、昨年のワンマンライブでは正式にサポートをお願いした。
サポートというよりはメンバーぐらい楽曲を考えてくれた。
我々の演奏技術や、アレンジ、音楽への責任感に多大な影響を実は与えているのである。
本人には言わないけど。


そして、自分が上手くなっていけばいくほど、湯浅さんの重ねてきた音楽経験値にはまだまだ勝てないなぁと思うようになってきた。

昨日のレコーディングも、そんなことを思い知らされて、少し泣いてしまったのだ。
素晴らしい音源になるので楽しみに待っていてほしい。
まず僕が楽しみなんだから。

2/22はどんなライブになるか、これも楽しみなのだ。

恐らく今日もTwitterで政治的なことを呟いているだろうが、悪い人ではない。
良い人かどうかまではわからんが(笑)
結構尊敬しているのだ。


こうなると、もうお一方の修一郎さんのことも書かなきゃいけないねぇ。

2020年2月18日火曜日

レコーディングの姿勢

今日もレコーディングをしてきました。
相変わらず実力が無いのは、悔しい限りでしたが。
良いテイクが今日も録れましたよ。

夕方から湯浅秀栄が合流して、鍵盤を録ってくれました。
いやぁ、惚れ惚れする演奏でした。
クールです。
キッチリ録るなぁ。
基礎がしっかりしてる。
Twitterで盛り上がってしまいましたが、早くみんなに聴かせたい。
そんな楽曲になりました。

まだ参加楽曲は伏せておきますが、レコーディングをする姿勢にも刺激を受けました。
夕方までに上手く録れなくて、湯浅さんが合流するまでにベーシックトラックが録れなかったんです。
少しスタジオの空気が重くなることもあったんだけど、湯浅さんは踊るように鍵盤を弾いていました。

ライブはレコーディングのように。
レコーディングはライブのように。
という言葉があるんですけど、それを体現しているなぁと思った。
録ってる横で何回も泣いてしまった。
こういう音を遺したいから、レコーディングするんだもんね。
いつでも陽の気をまといたいよな。

あ、OKテイクは良い感じだからご安心を。


今日は楽器だけで終わってしまったが、良いボーカルを録りたい。

そして、そんな湯浅さんも少し苦戦したり、何回もリテイクした場面もあった。
あぁ、これだけの実力者でもレコーディングは楽勝って訳にはいかないのかと安心したり。

まだまだレコーディング初心者。
これからも精進したいっす。

2020年2月17日月曜日

LOVE LETTER

今日は橋本GOHANでライブしてきました。

セットリスト

1.LOVE LETTER(槇原敬之)
2.僕の唄を聴いてよ
3.君のペース
4.明日はどっちだ(クリープハイプ)
5.グラデーション
6.もう褒めてもらえない


MCでも言いましたが、槇原敬之さんの逮捕を受けて色々感じることがあります。
作品に罪があるないの議論がありますが、僕は少なくとも曲には罪は無いと思っているんです。

沢尻エリカさんの時も思ったけど、
「覚醒剤をやってたから、あんなにエキセントリックな演技ができた」
とか
「覚醒剤をやってたから、あんなに良い曲が書けた」
とか言われちゃうんですよ。

言葉は乱暴だけどさ。
「覚醒剤の手柄」になっちゃうんですよ。

悔しくないですか?
俺はファンとして悔しい。
心血注いで創ったものが、覚醒剤の成せた業になってしまうわけだよ。
勿論要因としては無視できないんだろうから、言われてもしゃあないんだけど。

人間の力が成せたことだったって、言わせたいじゃない。
だから、今日はマッキーのカバーをするんだって、決めていました。
僕の声で、槇原敬之の唄を歌いたかった。


そうなってから、カバー曲で始まる三曲のステージを二回。
前半野村、後半ちっぴー主体といった、面白いセットリストになったと思う。
ある種の制約とか決めごとがあると、新しいものが生まれることがありますね。
あと新しめの曲、君のペースを褒めてもらって嬉しい限りだったぞ。

今日はアツくなりました。
沢山訴えたいことがあったのかもしれない。
気づいたら終わっていたようなライブでした。
歌うことに喜びを感じられて良かった。

明日のレコーディング、頑張ります。

2020年2月16日日曜日

客観的に見る

今日、14日から続いていた構成譜というものの作成が終わった。
9曲あるので1日3曲分書いて、書き終えた。

ひとつ仕事が終わったので、少しは楽になりました。
明日のライブにも支障の出ないことでしょう。

いつも感覚でやっているというのは毎度書いているけれど、構成譜を書くと、コード譜や歌詞カードだけでは分からなかったことが沢山ありました。

この曲が何小節あるのかとか

実は四分の二拍子が入っていたとか

八小節と思っていたら、九小節あったBメロとかね。

今さらかよ、って感じだけど(笑)

僕はあまり音楽的なことは分からないので、歌詞とかメロディとか、和音は凝ります。
しかし楽曲の長さもそんなことになっているとは知らなんだ。

難解なことはやっていないつもりでしたが、少しだけ変わったこともやっていたみたい。

自分のことって、よく見ないとわからないねぇ。


紙に想いを書き出すと、頭の中が「見える化」できて、ごちゃごちゃしてる頭がスッキリすると聞いたことがありますが、客観的に見る、という意味が分かった気がしました。

2020年2月15日土曜日

頭を使わない


今日も忙しかった。

やることは沢山あるわけですが。
こういった時は、何も考えなくていい作業というものをやるといいですね。

例えば、料理をするとすると。
何を食べるか、メニューを決めるというのは頭を使う作業。
いざ作るというのは、頭を使わない作業。
頭を使わない作業というのは、やれば終わること。
かったるいですが、始めれば終わります。

やれば終わるのだから、早めにやってしまうのにこしたことはない。

掃除なら、
レイアウトを考えるのは頭を使う作業。
いざモノを運ぶのは頭を使わない作業。


曲を作る時に置き換えれば。

作曲をするのは、頭を使う作業。
作り終えた曲の歌詞カードや楽譜を作るのは頭を使わない作業。


最近沢山やることがたまっているので、練習やアレンジの細かいことを考えると時間が足りなくなります。

なので、今日はレコーディングで使う構成譜と呼ばれる楽譜のようなものを作っていました。

ひとつひとつ片付けるぞ。
やることが多すぎる錯覚から、早く抜け出す。

ちなみにこのブログを書くのは頭を使わない作業。
ブログで何を書こうか考えるのは頭を使う作業ですわ。

これで一仕事片付いた。

2020年2月14日金曜日

詰め込んで溜め込んで

今日は少し遅めに起きて、まずは夜の打ち合わせのための作業。
2/17、2/22のライブのセットリストを大まかに決める。
14:30~Shiny'sの練習。
昨日のスタジオで至らなかったところとか、ライブの練習とか。
夜は夜で、オバタケン先生と、レコーディングのアレンジの打ち合わせをしてきた。

一日がシャイニーズの活動の幕の内弁当のような日だった。
もはや脳ミソが切り替わらない瞬間が何回か。
そして宿題ばかりが溜まっていく。
くそぅ。


ライブも珍しい曲を何曲かやることに決まった。
こんなときこそいつもの曲をやればいいのにね(笑)
我々らしい。

そして、オバタケンとのやりとりも本当にありがたいと感謝しきりだった。
いかにシャイニーズの魅力を引き出せるかといった観点から物事を見ている。
昨日と同じく引き出しの多い人とやると、自分の不足も分かる。
…お陰で敬語になってしまう(笑)
すまないなぁ。

ここまでされたら、我々もそれに応えるくらいはせめてやりきりたいものだ。
失礼のないように。


最近はシャイニーズのことばかりブログに書いている。
ネタが音楽とか、表現に対しての内容に偏ってしまうので、少し面白くないかもなぁとも思う。
しかしまぁ、それが非常にありがたいことだなぁと思います。
何かしら日々音楽してるっちゅうことですから。
一応シャイニーズ野村のブログですからねぇ。

自己嫌悪なんか入り込む隙もないくらいのめり込みたいね。
やることは沢山だ。

やった分、咲かせます❗

2020年2月13日木曜日

課題を尖らせる

今日は2/22のツーマンライブのお相手、ひねくれポップファンクラブ通信(湯浅秀栄とそして、修一郎)とスタジオに入ってきた。とても良い感じになってきているので、ご来場くださるかたは楽しみにしていてくれ。
来るか決めてない人は早めに決めるといい(笑)。

今回、お互いの曲をセッションすることになっている。
お二人は我々の曲を彩りよくしてくれている。

のだが、
相手方の曲に自分たちが入るときが、まぁ、大変だ。

端的に言うと下手なのである。
そして、引き出しがない(笑)

二人は気の効いたフレーズ、こうした方がいいかな、といってすぐに弾いてみせるのだが、シャイニーズは少し固まってしまう(笑)
あー、もっとスムーズにリテイクに応えられたらいいのに、と何回も思った。

だが、これがいいのだ。
湯浅さんは「課題を尖らせる」といった表現を使ったが、痛烈に至らないことを自覚すると、もう御免だから努力する。

2/22までにはブラッシュアップして、良いライブにしてやるぞ。
おー。


槇原敬之が覚醒剤で逮捕された夜に思う。
昨日ブログに書いたのは何かの知らせだったのかなぁ💦

2020年2月12日水曜日

日々のこと

最近は表現するとは何か、ということばかりを考えがちである。
ブログでもそんなことばかりを書いている。

そんな自分を少し芸術家っぽいなぁと思う節もあるが、少し盲目になってやしないかと見張る。

頭が自分の生身の速度を追い越して欲張りになる。
脳が先走るとでも言おうか。

そして、そんな時は偉そうなことを言いながら日々のことをおろそかにしていたりするものだ。


僕の好きな槇原敬之さんが、覚醒剤で逮捕されたとき
「僕は歌っていることで認められる思っていたけど、歌っていないときでも充分人間なんだと感じられて嬉しかった」
といった類いのことを言っていた。

表現者である前に、人間らしくあれ。
ということなのかもしれない。

少し、立派でいなければいけないという強迫観念のようなものがあるのかもしれないね。



ちなみに今日はチャーハンを作った。
自分でも「うめー」と言ってしまうくらい上手くできた。
練習でメトロノームに合わせて遊んだりもした。
基礎練習というのは、余計なことを考えないから素晴らしい。

こういうことが沢山できたらいいな。

2020年2月11日火曜日

アマチュア魂

今日は茨城県は水戸で、朗読劇を観てきました。
以前ブログにも書いたと思うけど、専門学校時代の同期がまたステージに立つことを決めた。
その子の発表公演であった。

発表会、と書くと如何にも「アマチュア」のにおいがしてくる。
僕はこの表現があまり好きではないのかもしれない。
発表公演、という名前で良かったと思う。

プロやアマといった境目は多分どこかにあるのだけど、それはあまり意味を持たないなぁと実感している。
行く途中で音楽のコンピレーションアルバムを聴いたりしていたが、何も心が動かないプロも、さすがだと唸るプロもいる。
プロが素晴らしいとも限らない。

そして、アマが劣っているとも限らない。
例えば、子どものお遊戯会を観て、芸としては何も完成されていないのに泣けてくることもある。

結局は心意気が美しいかどうかにかかっている気がする。
演出の壌さんの芝居には心を打たれた。

そして、出演している方たちはアマチュアであったが全員が美しかった。
アマチュアの自覚がある方たちは、自分に何もないと思っているのかもしれない。
だから、懸命に演技をする。
それが美しい。
余計なものが無い。

勿論至らない、というか至れない人達もいたけれど、決して諦めず、不器用ながらも懸命に演技をされてたと思う。
僕はその姿勢を観れただけで感動した。

僕の同期も、素晴らしい演技の場面、少し行き着けなかった場面もあったように思う。
だが、それが実は当たり前だし、次のステップになると思う。
どうやら本人は最後の場面で悔いがあったようだが、そんなことはどうでもいいのだ。

僕は賭けている人の表現が好きだよ。
よくやったね、と今度あったときに話したい。

アマチュアであることに卑屈にならず。
プロフェッショナルであることにおごることなかれ。

とても中途半端な自分に思う。

どうあるか。
それだけなのだから。

2020年2月10日月曜日

周りの速度


今日、深イイ話を観ました。

家族が好きすぎる女性にスポットを当てるという企画だったのですけど。
その中に弾き語りトラックメイカーの眉村ちあきさんが出演されていました。

実は僕は眉村ちあきさんを「下北沢ろくでもない夜」で、生で観たことがあります。
仲間のバンドがライブをするということで、観に行ったときに、多分トリを務めていたのだ。

その時は面白い曲を創る人だなぁくらいにしか思わなかった。
しかし、もうお客さんがしっかり付いていて、この子はもしかしたらと思っていた。

そのあと。
去年の1月にラジオに眉村さんが 出演していた。
最初は「あれ?何処かで聴いたことあるな?」ぐらいだった。
最初は気づかなかったけど、話や曲を聴いているうちに多分あの子だ、と思い、検索をかけた。
当たっていた(笑)

「うわ、あのよく夜に出てた子だ❗」と。
売れたんだなー。

そしてラジオに出ていて僕が、一回観ただけの人間が、思い出せたということは、やはり心に引っ掛かる力があったんだろうね。
すげぇな。

そしてメジャーデビューをして、今回深イイに取り上げられるとは。
何ともすごいスピードだ。
事務所がトイズファクトリーとはいえ、すごい。
僕の周りには、そこまで手の届かないところに行ってしまった人はいなかったから。
素直におめでとうと思う。


だが逆に僕の仲間が今、急に売れてしまって、何処かへ行ってしまったとしたら、素直に喜べるだろうか。
僕と何が違うのだろうと、無いものを探しはじめてしまうかもしれない。

そして、こういった感情を自覚するということは。
競争意識があるのだと思う。良し悪しは別としてだ。

余計なものが沢山まとわりついてくる。
どれだけ音楽だけを、作品だけを創ることができるんだろうか。

周りの速度に惑わされぬよう。

2020年2月9日日曜日

骨のあるヤツだ

ついこの前、ちっぴーと回転寿司に行った。

我々は7割くらい好きなネタが似ている。
ねぎまぐろだったり、えんがわだったり、寒ブリだったり。
そしてその日は二人とも真鯛を食べた。

先に僕が食べて、美味しいから食べなよ、と言う。
ちっぴーも取った。

ちっぴーが口に運ぶと何やら変な顔をした。

どうしたのかと思ったら、真鯛の切り身に骨が残っていたのだ。
しかも二貫とも(笑)

大手回転寿司で、切り身に骨が残っているなんてなかなかレアではなかろうか。
イワシとかならいざ知らず。
鯛である。
何とも珍しいこともあるもんだなぁと思った。

まぁ、魚だから骨くらいあるわな、と大事にはしないで帰ったのだ。
その日のブログに書くほどでもなかったのだけど。


何故今日になってそれを書いたのかと言うと、今日はドリアを作った。使用したのは鶏肉である。

出来上がり、食べていたら。
ちっぴーが変な顔をした。

どうしたのかと思ったら、鶏肉に骨が残っていたのだ。

言うまでもないが、僕には骨は無かった。

こいつ、骨のある女だな、と思った。

2020年2月8日土曜日

何足のわらじ

何足もわらじを履いているような時はありませんでしょうか。

僕たちシャイニーズは現在、仕事をしながら、レコーディングをしながら、ライブの準備も進めております。
なかなか大変だなぁと思っているけれど、それは僕たちに限ったことではないと思うんですね。

例えば子育てをしながら、パートしてるお母さんもいるだろうし。
勉強しながら部活をする生徒もいるだろうし。

これだけ大変な思いをしているんだからさ、とは言いたいが。
それはみんな一緒な気がします。
悔しいぜ。
昨日あんまり寝てないんだ、みたいな自慢したいわ。


そして、何足もわらじを履いているとき。
あれもこれもやらなきゃいけなくて、結局どれにも集中できないということはありませんでしょうか。
最近の僕はそうでした。
どれもこれも中途半端なのがチラつくんですよね…

そんな時に思い出すのが、昔、ガッツ石松さんが喧嘩の極意を語ってらした時の言葉。

大人数で囲まれて、1対多数になったときには、とりあえず狭い路地に逃げ込むらしいです。
そうすると、狭い路地では強制的に一対一になる。
そうして、一人づつ片付けていく。
一対一なら負けないから。
との内容だった。

これって悩み事とか、掃除とか、何でも当てはまる気がするんですよね。
とにかく一つ一つやって終わらせればいいんだと。


僕は一昨日、湯浅さんやオバタケンと大体の打ち合わせが終わって、非常に落ち着きました。
Twitterで情報を出せたのもスッキリしたし。

だから、今日はライブの練習がたっぷりできたのだ。
レコーディングという喧嘩を一つ終わらせたの。

嬉しいぜ、という話です。

2020年2月7日金曜日

役に立たない

Twitter、ブログにて、現在レコーディング中の音源についてお話しました。

僕たちにもまだまだ全容が見えないというか。
とにかくがむしゃらに録っているだけですけど。
良い作品になるといいな。

いつかのブログで過去に録音したディスコグラフィーのブログを書いた。
正直、CDはなかなか売れなくなっているのかもしれない。
最初に創ったCDの時より、明らかにCDは売れなくなっている。
音楽を届ける方法が多様化しているから当たり前な気もする。
とある友人から「配信なら聴けるんですけど」と言われたこともある。
テレビの無い家も今はあるのだから、CDプレイヤーやパソコンの無い家もそりゃあるわな。

アメリカなどでは、軒並みCDショップがつぶれていて、サブスクに移行しているとも聞く。


しかし、とある街で、大型のCDショップが潰れたそうだ。

現代はネットもある。
そのショップでディスクを買い、音楽を聴いていた人たちが、そのままネットに流れたかと言えばそうではないらしい。

ほとんどの人は
「音楽を聴かなくなった」そうだ。
おそらくどこかから流れてくる音楽で満足してしまうのだろう。
勿論一部のコアな人はネットで新譜も取り寄せるのかもしれないが。

多分タワレコのコピーだったと思う。
「音楽は役に立たない だから素晴らしい 役に立たないものが存在できない世の中は恐ろしい」
といったコピーがあった。
細かいところは間違っているかもしれないけど。

すごい音楽への愛を感じた。
確か、ロックミュージシャンの誰かの言葉なんだよね。

今のご時世なのに、僕たちはCDを創る。
もしかしたら配信との二刀流かもしれないけど、ディスクが先になってしまう。
多分CD文化を愛しているのかもしれない。
一昔前なら、絶対レコードリリースする、とか言うのかも。
今はそれが伸びているようだが。

一枚通して聴いた時の喜びや感動があるといい。
それがアルバムと言われる由縁だ。


僕たちは役に立たないことを一生懸命やるのである。

CD情報まとめ


色んな人が関わっているので、どう情報を出して良いのか分からなかったのですが、昨日ひとまず整理がついたので、現在決まっている情報をお伝えしたいと思います。

P.S 関係者各位から、やっとかい、とお叱りがあった(笑)
申し訳ありません。


まず、現在レコーディングしている曲は9曲となります。すでに非公式録音していた曲と合わせて、10曲収録を予定。リリース時期は未定ですが、今年の夏ごろにはできあがるかと。

そして、リリースの形態ですが、10曲収録のフルアルバムも考えましたが、5曲入りのミニアルバム二枚リリースを考えています。同時リリースはせずに、一枚一枚を姉妹アルバムのようにお届けできたら。

そして、今回はshiny's二人だけで奏でる楽曲と、サポートミュージシャンを迎えた楽曲を収録します。サポートとは名ばかりで、アレンジやサウンドディレクションもお願いしています。湯浅秀栄、オバタケンの二名にそれぞれ3曲づつ。つまり弾き語り4曲、アレンジ6曲です。
つまりオバタ参加楽曲ミニアルバムと、湯浅参加楽曲ミニアルバムの二枚ということになります。諸々作業が進んでおりますが、非常に楽しいです。

収録曲【50音順】

アイデンティティ
朝風呂
えん
エントロピー
ゴキブリ
空耳
てくてく
僕の唄を聴いてよ
もう褒めてもらえない
やりたくない


以上10曲です。どれが湯浅曲、オバタ曲かは少しもったいぶります。

皆様のお手元に届くことを願って。配信やYouTube、PV全盛の時代にあえて盤を創る意味を見つけていきたいです。よろしく。

2020年2月6日木曜日

年輪

今日はいちゃりばちょうでぃに遊びに行ってきました。

演奏曲

1.僕の唄を聴いてよ
2.てくてく with 湯浅秀栄


少し事務的な話を仲間の皆としていたので、他の人と話せなかったのは少し勿体なかったなぁと思いました。
ただ、心配事が大体調整できたので一安心。
やることは沢山だが、やるしかないのだ。

今日はぶっちゃけそのために顔を出した部分があったので、何かを歌いたいとかそういった気持ちは
あまりなかったんです(笑)

でも、ライブとか、人前に立つというのはどういったことなんだと考えさせられる出来事があったので、僕の唄を聴いてよを歌いたくなりました。
二曲目、湯浅さんとセッションすることは決まっていたので。
歌えて良かった。


今日はいつも来ている人に加えてお久しぶりの皆様が沢山いらっしゃって、なんか、いちゃりばに行き始めた頃を思い出した。

昔は訳も分からず、歌いに行って凹んだりしていましたなぁ。
今はシャイニーズもオープンマイク慣れしてきたけど。
ずっと一緒にいなくても、みんなが各々のところでしっかり生きていたんだよねって思いました。
「久しぶり」なんつって、お互いの年輪のようなものを見せあった感覚。
僕らは僕らで、僕らのできることをやってきたんだなぁと。
感じることができたんです。


目の前のことを、一生懸命やれる人でありたいですね。
それが年輪を刻むのだなぁ。

2020年2月5日水曜日

受けとる側の都合

少し前に、坂本龍一さんの記事をリツイートした。

「音楽の力」は恥ずべき言葉
といったタイトルだったのですが。

音楽で感動させよう、勇気をあたえよう、なんて。
表現する側が思うのはおこがましい、と言うのです。
同じ音楽を聴いても感動するときもあるし、何も感じないこともある。
音楽に何か力がある訳ではない。


うむうむ。
非常に納得だった。
結局は聴き手の琴線に触れるかどうかだけの話なんだよね。


昨日、相田みつをさんの詩を引用するときにですね。
表現が違ってはいけないと思って詩集を開き、改めてみつをさんの詩を読んだんです。
沢山優しい気持ちになりました。
以前味わった感動も、新しい受け止め方もしたのでしょう。


最近はレコーディング脳になっていて、槇原敬之さんの音源を沢山聴いています。
昔は聴こえなかった音やフレーズが聴こえる。
違う景色も見える。

作品と呼ばれるものは多分変化しない。
変化するのはそれを受けとる人の気持ち。


だから、作品を創る側は。
せめて、
せめて、
一生懸命、心血を注ぐのだ。

どんな心の人にも失礼のないように。


沢山の作品に感動できる僕になったのも、受けとる側の変化ですねぇ。

2020年2月4日火曜日

さわやか


昨日は一日中レコーディングをしていたので、ヘトヘトである。

今日はヘドロのように起きて、ずっと眠かった。
しかし何故だろう。
疲れてるけど元気なのである。


相田みつをさんの詩に、
「本気」という詩があります。

本気でやればつかれないから
つかれたとしてもつかれがさわやかだから

といったことを書かれています。
まさにそんな心境でありまして。


なんかね、シャイニーズとか唄ってものを。
一生懸命やることはあるけど。

本気と書いて、マジでやってみること。

これは最近少なくなっていたのかもしれないなぁと思い知らされたのです。
限界を超えるつもりでやり抜く、とでもいいましょうか。

負けるかもしれないくらい、ヒリヒリとしたものに向かう。
自分の未熟さと向き合うことも。
本気じゃなければできないかもね。

その、自分に勝負していく感じがとても楽しくて。
今日は帰ってきたら爆睡してしまったのだけど。

とにかくさわやかだ。


ぼくはおおきくなる。

2020年2月3日月曜日

実力がついても

レコーディングは集中力を要するなぁ。
自分たちでやるプリプロとは、全く訳が違うぜ…


ただ、とても良いものが出来ると思います。
ブログを読んでいるそこのあなた、楽しみにしていてください。


今日気づいたことは、
確実に前回より実力はついていると思いますが、逆にできないことを発見する能力もついているので、結局苦労の総量は変わらないんだということ。

前回より楽チンな訳ねーよなー。
まぁ、さっと録れる訳ないと思っていたけど。
さー、これから粘っていくぞ。
眠い。

あ、合間に恵方巻食った。

2020年2月2日日曜日

メモ

明日は、待ちに待ったというか。
もう、来てしまったレコーディングの日。

今日は早く寝ようと思います。

そろそろ収録曲とか、サポートの人とかね。
まあ、大体予想つくとは思うけど、お知らせできたらいいなぁ。

さて、本レコーディング前に「プリプロ」と呼ばれるデモ音源の作成をしているということを以前書いたのですけど。
今日は歌詞カードにコードをふったコード譜の作成とか、弦の交換とか色々やってました。
ホントは楽譜書かなきゃいけないんだろうけどね(笑)


曲は全部頭の中に入っているので、あまり歌詞カードやコード譜というものは見なくなってしまうけれど、久しぶりにそれらを眺めたら、案外いい歌詞だなぁなんて(笑)自画自賛したり。


そして、歌詞カードに過去の自分が忘れないように書き留めていたメモがありました。

例えば

「気持ちは入れるものではない、入るものだ」
とか
それに矛盾するようだが
「力を入れずに気持ちを入れろとか」
「自分のことにしないで、小説を読むナレーターのように」
とか。


なんか、真面目だなぁと思って(笑)。
お芝居をやっていたときの癖もあるんでしょうねぇ。

音楽的なメモではなくて、表現的なメモなのも面白かった。
今はそれを読まんでも結構意識して歌ってること、多いんです。
成長してるんだなぁ。

最近はどちらかというと音楽的、技術的なメモも多いかなぁ。
どちらも必要ね。

さあ、明日はどんなことを書き留めるのでしょうか。


あ、とても言いそびれてたけどこのブログ毎日更新でこの前一年経ったみたいです。
今日もありがとうございます。

これもメモ。

2020年2月1日土曜日

続けることは偉大

今日は相模大野の「にじのいろ」さんへ。
尾上明範ワンマンに遊びに言ってきました。

道路が土曜日で混みまくり、到着が相当遅くなってしまいました。
もともとスタートには間に合わなかったんですが、一時間半間に合わないとは思わなかった💦


尾上ちゃんとは今年初めて会ったのかな。
なんか、すごく久しぶりな感じがしました。
そして久しぶりだからなのか、尾上ちゃんの紡ぐ音が今日は全てダイレクトに入ってきた。
ずっと感銘を受けていた。
あー、すごいなぁと。
多分、いつも橋本GOHANとかで一緒することも多かったから、俺は尾上ちゃんに「慣れて」しまってた部分もあったのかなと。

ギター一本で勝負する佇まいが美しく感じたんだろうなぁ。
場数が違うんだろうなぁ。
いつまでも先輩だなぁ。
同い年なのになー。



会場のにじのいろさんは、2月でカフェスペースを閉店されて、業態を少し変えて営業を続けるそうなんです。
ギャラリースペースが主になるから、これからライブをすることができないらしいんですね。

僕は以前それを聞いたとき、お店の前向きな方向性の変更と思っていたのですが、店主のまゆみさんや、企画者のぴんどるさんとお話させていただいたら、沢山の葛藤を乗り越えて決断されたんだなぁということを知って。

休憩中に二曲ほど粋な計らいで歌わせてもらいましたが、歌う前にもっとそれを感じておけば何かこちらも歌に込めて返せたかなぁなんて悔いもあるのですが。
一旦の、最後を迎えるにじのいろさんに、少し僕たちの音を置いてこられて良かったと思う。
僕らがにじのいろに出会う前に、カフェ営業を終わらないでくれてありがとうとも思うんです。

僕は二回しか足を運んだことがないけれど…
これからのにじのいろさんの発展を願っております。
良いお店ですから、相模大野にお立ち寄りの際は、そこでお茶しようぜ。

歌うことを続けている、尾上ちゃん。
形を変えて残る、にじのいろ。

どちらも続けることの偉大さを教えてくれていました。