2025年6月7日土曜日

過ぎたるは猶及ばざるが如し

 昨日のブログの裏面のような内容だ。


何事にもいい塩梅(あんばい)というものがあろう。

過ぎたるは猶及ばざるが如し、なのだ。


流し研修から、良く言えば「向上心」とでもいうような気持ちの暴走が止まらない。

昨日のブログでは、それに飲まれないようにしなければ、で終わっていた。


しかし、やはりその回転数は止まることはなく、だんだん自分への苛立ちに変わっていくのがわかった。

「なんでこんなに下手なんだ」とか

「声が響かねぇな」とか、そんなの。

こうなったら、もう、その気持ちは余計なものだ。

「向上心」と呼べた気持ちではなく、ただの「焦り」だったり、「高望み」だったりする。

そういう時は大抵イラだってへこんでいるだけで、ろくなもんじゃない、

過ぎたるは猶及ばざるが如し。


逆に流しの研修の直後は

「もっと上手くなりてぇなぁ!」

「課題が沢山見つかったぞ!ちくしょー」

と、いう前向きな気持ちだった。

それが行動力に変わっていた。


ここで大事なのは、僕が未熟なのは何一つ変わっていないということだ。


どちらも実力不足なのに、捉え方が違うだけ。

直したいぜ、このやろー。

と思えるか。

俺ってなんでこうなんだろう…

と思っているかの違いだけだ。


岡本太郎さんの本の影響だが、未熟なことを恥じたら、未熟であることの価値がなくなる。

そうなったら、本当にただの陳腐な人間だ。

未熟であることは挑戦したいという気持ちの源泉。

もっと未熟を楽しみたいと思ったのである。

2025年6月6日金曜日

エモさに飲まれぬよう

 昨日の流しはホントに勉強になった。

僕の興奮ぶりは伝わってしまうだろう。

お陰で、昨日からアドレナリンが止まらない。


昨日ご一緒した赤依待胡さんという歌い手さんは、単独で弾き語りでも流す方。

前まではボーカリストの方と組むのがほとんどだったので、あまり言われなかった伴奏についてかなりダメ出しをいただいた。

一回り以上下の方なのだが、全てが納得のお言葉だった。


まず、BPM。端的に言えば、曲の早さ。

コードを弾くことばかりに気がいって、そこへの意識はなかった。曲の空気みたいなものは掴もうとしてたんだが、歌い手さんと創り上げるのであれば、原曲のBPMを意識した方が確かにいい。

緊張で走ることもあるしね。

これは目から鱗だった。


あとは、イントロとか間奏をもっと自由にぶっ壊していいんじゃないかとも言われた。

元来、流しではフルコーラスはほぼ歌わない。

その時点で原曲とは形が違う。

単に切り貼りするのではなく、2小節間奏を適当に足したりしてその場で「テレビサイズ」の尺を創るような気持ちでと。

これは即興にとても似ている。

そうだな、流しはもっと自由であるべきだ。

カラオケの延長ではつまらないと思っていたから、そう進みたいと思う。


他にも、四拍目が走るからたっぷりと。

もっとドラムの聴こえる演奏で…

など、金言は沢山ありました。


お陰さまでホントに楽しくて。

昔役者をやっていた頃や、シャイニーズでガムシャラにやっていた頃を思い出すぐらいメラメラしている。

ギラギラでもいい。


どうしたら上手くなるのか、実力がつくのか。

昨日の夜に眠りにつくときも、朝に電車に乗っているときも、そんなことばかり考えてしまう。

そんなことばかり考えてしまうが、そんなものは考えてもわかりゃしないだろ。


あとは今日の夜に、専門の同期の作品を読んで、気持ちが高ぶったりもしていた。


そんなエモさを持ったまま、救いを求めるように配信だ。

あー、足りないものばかり見えてしまって、それもイライラする。


うーん、このエモさに飲まれぬようやっていかねばな。

落ち着け、俺。

2025年6月5日木曜日

曲の読み方

 昨日、6/6まではやらないと言っていた配信をやった(笑)。珍しい、やらない詐偽である。

流しの練習に一息つきたくてね。つい。


その際に「着火」というオリジナル曲をやったんです。

このブログを読んでいる人はご存知かもしれないが、この曲は智歌ちゃんという仲間のアーティストの「着火」という企画のために書き下ろした曲だ。

智歌ちゃんは大切なお別れを経験したことがあるので、その辺も歌詞に織り混ぜている。


という事情で、どうしても着火と智歌ちゃんは切っても切り離せない関係性だった。

歌うときにはどうしても智歌ちゃんがちらついていたわけだ。


しかし、昨日の配信で最近僕を配信で知ってくださったが三人もいて。

計四人の方に何か感謝を伝えられる唄がないかと考えていた。

いつもなら「遊ぼう」って唄をチョイスするんだけど。


着火の歌詞に

「消えてしまいそうな僕の心の中 君が分けてくれたあたたかい炎」

「僕はこの炎を消したくないと思った」

という一節があり。


なんか、アーティストとリスナーさんの唄みたいだなって思ったんです。


アーティストは種火。

お客さんは薪だ。

聴いてもらえなければ、火は消えていく。

そんな風に解釈すると、この唄がより好きになった。

自分の中でこの唄がより、普遍性のある唄に感じられたんだ。

お陰で良い感謝の唄になったと思う。

この唄はこういう風にも歌えるんだってね。


新しい見方、読み方ができると楽しいね。

今日の流しも、そうでありますように。

2025年6月4日水曜日

足りていない

 昨日のブログは二行。

書く気にもなれなくて、共有もしなかった。

メンタル以前の問題である。


大雨の中、配達を終わらせる。

まぁ、大変だったのだ。

それもあるのだが、帰ったらどうにも眠いのだ。

帰りの電車でも座った途端寝落ちしてしまうぐらい眠かった。

これは偉いことだぞ、と夕飯も食べないでお風呂に息子と入ったら寝かせてもらう。

多分20:00すぎ。

そこから23:30まで起きなかった…。


睡眠不足もあるのだけど、明らかに身体がおかしい。

起きて夜食となってしまった夕食を食べるのも時間がかかり、0:20ぐらいまでかけて食べても全く目が覚めないのだ。

うーん、また栄養失調貧血なのかもしれない。

今朝も食べてたら吐きそうになるし。

最近暑くて、発汗量が急に増えてしまったからなのかもしれないな。


昨日の夜よりはマシだけど、今日もふらつきが少しありました。

鉄分サプリを買って帰りました。

先ほどまで仮眠して夕飯を食べたらだいぶマシです。


配信休む決断して良かったな。

どちらにせよ何かが足りていないのは確かなようだから。


と、いうことで昨日できなかった流しの準備を大慌てで、今から。

2025年6月3日火曜日

2025年6月2日月曜日

大切な時間

昨日の配信、ポストしましたが 40 分のつもりが 80 分やったんです。

配信やった後に「やりすぎてるな」って感じたんですよ。

観に来てくれる方が最近多くて、どうしても嬉しくなってやってしまうのだ。

つまりはノせられてやっちゃうわけだね。


ただ、これを続けていると危ないなって感じたんですよ。

流しの練習もあるし、自分のライブもある、最近創った新曲の練習と詰めの作業もしたいね。

そういうのを置いといて「楽しいから」と続けていた。

勿論それでいいんだけどな。

やることを少し疎かにしている感覚があった。


あとは、楽しいからやっていたけど、普通に疲れていたと思うよ。

栄養ドリンク飲み続けてハイになってやってる感じ。

疲労感はごまかせているけど、疲労は取れてない。

だから、多分続けていたらいつか

プツッ

と切れてしまうんだろうという気持ちもあったのね。


継続できるように、自分で線を引かなきゃいけないなって強く思いました。

求めてくださって、沢山やるのは容易いけど。

バテたら意味無い。


今日もギリギリまでやるか迷ったんです。

でも仮眠から起きたら、ちょっと元気になってやりたくなってね。

35分から40分やろーって。

急に配信やりませんってのは嫌でさ。

最近定期的に来てくださる皆さんにできれば生の声でお届けしたくてね。

結果、無理しない良い物量で終われたと思います。

…結局沢山やりたくなったけどね(笑)


配信をしないのも、大切な時間なのさ!ということで。

2025年6月1日日曜日

ウサギと亀(AI のオリジナリティ論)

 創作の範囲にも AI の進出がめざましい。


AI で作曲するとか、小説を書くとか、そういう話題にも驚かなくなったね。

架空のバンドのアルバム楽曲に対して、架空のインタビューをしてみるという記事も読んだことがある。

それはそれでとても楽しかった。

そのインタビューでは、ツアーとか、次回シングルのことも頼んでないのに語ったりしていた(笑)。

AI すげぇって思ったの。


ちょっと前に「ジブリ風画像」というのが流行った。


そう、ジブリ「風」なのである。

著作権とか肖像権みたいなのに関しては一回おいといて、それが本当に作品として芸術性があるかみたいな話があったのね。

今のところは、ジブリの模倣、ジブリ以上にはならない、ジブリ風、という意見が多いのかもしれない。

そこから AI には心は無い、とか、オリジナリティが無いみたいないつもの論調になるわけだ。


しかし、ふと思ったのである。

ブルーハーツが流行った時には、ブルーハーツもどきのパンクバンドが量産されたと聞く。

ゆずが流行った時は、雨後のたけのこのように弾き語りデュオが量産された。

ライブハウスに行けば、バンプの二番煎じと思われるバンドもいる。ミスチルになりたかったのだと思われる元バンドの弾き語り野郎もいれば、長渕剛になりたかったフォークおじさんも、ビートルズにしか興味の無い音楽おじさんもいるのだ。

そういう人たちは申し訳ないが、つまらない。オリジナルを超えることはなく、真似事をしているだけに見えて、僕は冷めてしまう。

口が汚くてごめん(笑)。


つまりは、人間だからオリジナリティがあるというのは大きな思い違いなんだ。

人間だって、ただの真似事止まりの表現をしている人間なんて山ほどいるんだ。

ここまで書いて、自分はどうなのか怖くなってきたけど(笑)


真似事に収まらない、本当の表現をしている方は一握り。

それがプロだとか、一流みたいな言葉で残っていくのだろう。


今後 AI が、そのホンモノの力を持つかは知らないけれど。

人間全体はそこまでたいしたもんじゃないと思うよ。

AI をバカにしてる間に抜かれる。

ウサギと亀の、ウサギのように。