昨日のブログの裏面のような内容だ。
何事にもいい塩梅(あんばい)というものがあろう。
過ぎたるは猶及ばざるが如し、なのだ。
流し研修から、良く言えば「向上心」とでもいうような気持ちの暴走が止まらない。
昨日のブログでは、それに飲まれないようにしなければ、で終わっていた。
しかし、やはりその回転数は止まることはなく、だんだん自分への苛立ちに変わっていくのがわかった。
「なんでこんなに下手なんだ」とか
「声が響かねぇな」とか、そんなの。
こうなったら、もう、その気持ちは余計なものだ。
「向上心」と呼べた気持ちではなく、ただの「焦り」だったり、「高望み」だったりする。
そういう時は大抵イラだってへこんでいるだけで、ろくなもんじゃない、
過ぎたるは猶及ばざるが如し。
逆に流しの研修の直後は
「もっと上手くなりてぇなぁ!」
「課題が沢山見つかったぞ!ちくしょー」
と、いう前向きな気持ちだった。
それが行動力に変わっていた。
ここで大事なのは、僕が未熟なのは何一つ変わっていないということだ。
どちらも実力不足なのに、捉え方が違うだけ。
直したいぜ、このやろー。
と思えるか。
俺ってなんでこうなんだろう…
と思っているかの違いだけだ。
岡本太郎さんの本の影響だが、未熟なことを恥じたら、未熟であることの価値がなくなる。
そうなったら、本当にただの陳腐な人間だ。
未熟であることは挑戦したいという気持ちの源泉。
もっと未熟を楽しみたいと思ったのである。
0 件のコメント:
コメントを投稿