2025年6月7日土曜日

過ぎたるは猶及ばざるが如し

 昨日のブログの裏面のような内容だ。


何事にもいい塩梅(あんばい)というものがあろう。

過ぎたるは猶及ばざるが如し、なのだ。


流し研修から、良く言えば「向上心」とでもいうような気持ちの暴走が止まらない。

昨日のブログでは、それに飲まれないようにしなければ、で終わっていた。


しかし、やはりその回転数は止まることはなく、だんだん自分への苛立ちに変わっていくのがわかった。

「なんでこんなに下手なんだ」とか

「声が響かねぇな」とか、そんなの。

こうなったら、もう、その気持ちは余計なものだ。

「向上心」と呼べた気持ちではなく、ただの「焦り」だったり、「高望み」だったりする。

そういう時は大抵イラだってへこんでいるだけで、ろくなもんじゃない、

過ぎたるは猶及ばざるが如し。


逆に流しの研修の直後は

「もっと上手くなりてぇなぁ!」

「課題が沢山見つかったぞ!ちくしょー」

と、いう前向きな気持ちだった。

それが行動力に変わっていた。


ここで大事なのは、僕が未熟なのは何一つ変わっていないということだ。


どちらも実力不足なのに、捉え方が違うだけ。

直したいぜ、このやろー。

と思えるか。

俺ってなんでこうなんだろう…

と思っているかの違いだけだ。


岡本太郎さんの本の影響だが、未熟なことを恥じたら、未熟であることの価値がなくなる。

そうなったら、本当にただの陳腐な人間だ。

未熟であることは挑戦したいという気持ちの源泉。

もっと未熟を楽しみたいと思ったのである。

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