2025年8月8日金曜日

ふしぎ

 少しだけグロい話をしますね。

苦手な方はご注意を。


最近バイクで運転していると、ネズミの死骸を発見することが二回ありました。

一つは結構損傷があるもの。

一つは本当に寝たように死んでいるものでした。


死因は分からないのですが、その近くの家の人が殺傷し、棄てたのではないかと思ってます。

ご存知の通り、ネズミは人間が生きていく上では害獣だ。駆除せねばならんのだろう。

もしくは猫が殺したとしたら、食物連鎖の中で必然の死だったのかもしれない。

僕はこれを「やむを得ない死」と受け止めなればいけないと思いつつ、通り過ぎたんだ。



前者のネズミはすでに小さい虫が群がっていました。

その虫たちに、食べられている部分があり、明らかに【ネズミだったもの】という形をしていました。

なんか、とても切なくなりました。


後者のネズミは、亡くなったばかりだったのでしょう。本当にキレイでした。

かわいい顔をしていてね。

今にも動き出しそうなぐらい。

これから、前者のネズミのように損壊していくのだろう。魂というものがないのならば、こちらもネズミだったものだ。

どちらのネズミの死にも、すんなりスルーできない何かがあった。


今の時期は、蝉がそこらじゅうに死んでいる。

お前も頑張ったんだろうな、という気持ちもあるが、数が多いからか、見慣れている僕がいる。

だが、急に動き出す地面に落ちた蝉を見ると、ごめんな、俺には何もしてやれないんだと切なくなる。


スーパーに並んでいる魚や、切り身の牛豚鳥肉に関しては僕は何の感情も抱いていないかもしれない。

これは【マグロだったもの】なんだな…といって、ショックを受けて食べること、食べられなくなることはない。


何故僕はこんなに【ネズミだったもの】に心を奪われているんだろう。


理由が分からないから?


蝉は一週間で死ぬもんね。

人間が食べるために殺したんだもんね。

他の命はそう割りきれるからなのかな。


不要な死、理不尽な死が受け入れられないのか。

だとすると、必要な死などあるのだろうか。

多分理にかなった死は、寿命なんだろうけど。


いのちはふしぎだ。

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