2020年3月30日月曜日

生きていてほしい

いやはや、皆さん誰もが志村さんのニュースに驚いたのではないでしょうか。

僕はドリフよりも後の世代で、志村けんのだいじょうぶだぁを観て育ちました。
なんか、お笑いって素敵だなぁと思ってVHSを擦りきれるほど観ていた。
後のボキャブラ天国や、オンエアバトルに興味を持つきっかけになった。
僕の表現の原点を作った人でした。



僕がライブを観た時に聞いて、大好きだったMCがあるんです。


火垂るの墓を観ていたら、節子が死んだシーンで泣いたんだそうです。

そいつはその時、
(多分自分の)子供に言われたんです。

「どうして泣いてるの?」

「節子が死んだからだよ」

「死んだら悲しいの?」

「何で?節子が死んだら悲しいよ」


「でも、この前人が死んだってニュース観た時には泣いてなかったよ」
って。
言われたんだって。


そいつは
「そっか、その時は確かに泣いてなかったわ」って思ったらしい。

命ってなんなのか、考えたらしい。


交通事故で亡くなった
犯罪に巻き込まれて亡くなった
地震で何人が亡くなった
とか、
急になくなってしまう命のこと。
そんなことを耳にしても。
正直
「大変だなぁ…」
「お気の毒に…」
「ご冥福を祈ります」
そんなことしか思わないのかもしれない。
すべての人の死に心を砕く訳にはいくまい。
心が持たないだろう。


ただ、それが近しい人。
家族であったり、恋人、友達、親、子供ならどうだろうか。


失礼ながら、他にも新型コロナウイルスで死亡された方がいるわけで。
志村けんさんが特別な訳ではない。

どの命が消える時にも、痛みが走ったはずだ。

志村さんの命は重い。
しかし、他の一人一人の命も同様に重い。


志村さんの死を悼む声も尊いし。
志村さんの死を何かの理由に使うな、と怒る声も尊い。

多分どちらも命に対して向き合っているはずだから。
しかし、それぞれがそれを持ち出して争うことは尊くないなぁと思っている。


今は、一人の70歳の男性がお亡くなりになったという事実を掴まえたい。
そして、その前にも亡くなった方がいたのだという事実を掴まえたい。


生きていてほしい、って思える人がいるんだ。

それは有名人でも、
家族でも、
何でもいい。

その人たちが、生きていれらますように。
そう願います。

勿論、僕は志村さんに生きていてほしかったです。

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