少し前に、坂本龍一さんの記事をリツイートした。
「音楽の力」は恥ずべき言葉
といったタイトルだったのですが。
音楽で感動させよう、勇気をあたえよう、なんて。
表現する側が思うのはおこがましい、と言うのです。
同じ音楽を聴いても感動するときもあるし、何も感じないこともある。
音楽に何か力がある訳ではない。
うむうむ。
非常に納得だった。
結局は聴き手の琴線に触れるかどうかだけの話なんだよね。
昨日、相田みつをさんの詩を引用するときにですね。
表現が違ってはいけないと思って詩集を開き、改めてみつをさんの詩を読んだんです。
沢山優しい気持ちになりました。
以前味わった感動も、新しい受け止め方もしたのでしょう。
最近はレコーディング脳になっていて、槇原敬之さんの音源を沢山聴いています。
昔は聴こえなかった音やフレーズが聴こえる。
違う景色も見える。
作品と呼ばれるものは多分変化しない。
変化するのはそれを受けとる人の気持ち。
だから、作品を創る側は。
せめて、
せめて、
一生懸命、心血を注ぐのだ。
どんな心の人にも失礼のないように。
沢山の作品に感動できる僕になったのも、受けとる側の変化ですねぇ。
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