育児をするようになってから、とんとライブというものを観に行かなくなった。
たまにクリープハイプとか観たり、仲間の大事なライブにいったり、この前のようにオープンマイクに行くぐらい。
前に比べたら圧倒的に少ないだろう。
時間がないので、時間を捻出したら、自分のライブだったり、流しの稼業にあてる。
つまりは演者としての時間だ。
まぁ、レッスンなどもあるけどもそこは除外。
必然的に、
演者の場数>観客の場数
となるのだ。
しかし、やはり観客の場数というのも大切だなぁと最近改めて思う。
観客になると、
ここで目線ずれちゃうんだ、もったいない、とか
あー、素晴らしい休符だ、とか
あの人の表情たまらないなぁ、とか
やる前から良いのがわかるな、とか
そういうことを沢山思うのである。
そう、観客というのは沢山のことを感じている。
上記のように具体的でなくても、大まかに何かしらを感じていたりする。
だが、演者としての場数ばかりが増えると、どうしても演者の都合で物事を考える。
自分も一観客であったことを忘れて、ステージ側だけの感覚でものを考えたりする。
それは少し危うい。
勿論観客の立場なぞ意識しなくても素晴らしい表現しちゃう人もいるんだけど。
僕のように自意識が強い人間は、そのぐらいの視点を持っておいたほうがいいと思っているんだ。
キラキラ輝いた表現を観るとキュンキュンしちゃうし。
粗末な表現を観ると悲しくなる。
どれも僕の一部になる。
今日はそんなことを考えた。
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