2025年6月13日金曜日

食べられている

 昔、ビートたけしさんの著書を読んだことがある。

タイトルは「新しい道徳」だったと思う。

もう手元から離してしまったが、その中に「食べ物をうまいとか、まずいとか言うのは、おいらの母親の時代は不道徳なことだった」…みたいな記述があったのだ。

正確な文章かどうかはご容赦いただきたい。


僕は申し訳ないが、この一節を一度読んだだけではピンと来なかったんだけど、多分明日食う物があるかないかの時代のお話だ。

だから、食べられるだけでありがたい。

それをうまいだの、まずいだの言うなということだったと解釈したんだ。

文句言わずに感謝して食え、と。


昨今の備蓄米の報道を見ると、やはりこの飽食の時代だ。

古米だ、古古古米だと大騒ぎだ。

ワイドショーでは、果たして味がどうなのかと食べ比べなんかもやっていたみたい。


米があるのが当たり前。

そんな豊かな時代に生まれてありがとうのはずだ。


なのに、無くなった時に、今までありがとうが言えない。何で無くなったんだと、騒いでしまう。


東日本大震災の時、電気が足り無くなった。

その時も、今まで供給してくれてありがとうとは思えずに。

どうしてくれるんだ、早く復旧しろ、なのだ。

今はスマホ全盛だから、なおさら電気が無くなったら混乱だろうな。


その時分に物流が滞って、パンがコンビニやスーパーから消えたりもしたな。

ガソリンも無くなったっけ。

これらも同様だ。


それらが安定してあるということは、誰かの多大な努力で成り立っている。

水道の蛇口ひねれば水が出るのも、水道管と、保守の人がいてこそ。

感謝したいよ。


備蓄米のニュースでね、そんなことを思うのよ。

いつの間にか、栄養価だ、味だと言い出すけど。

食べられているんだぜ。

飢えてないんだぜ。

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