昔、ビートたけしさんの著書を読んだことがある。
タイトルは「新しい道徳」だったと思う。
もう手元から離してしまったが、その中に「食べ物をうまいとか、まずいとか言うのは、おいらの母親の時代は不道徳なことだった」…みたいな記述があったのだ。
正確な文章かどうかはご容赦いただきたい。
僕は申し訳ないが、この一節を一度読んだだけではピンと来なかったんだけど、多分明日食う物があるかないかの時代のお話だ。
だから、食べられるだけでありがたい。
それをうまいだの、まずいだの言うなということだったと解釈したんだ。
文句言わずに感謝して食え、と。
昨今の備蓄米の報道を見ると、やはりこの飽食の時代だ。
古米だ、古古古米だと大騒ぎだ。
ワイドショーでは、果たして味がどうなのかと食べ比べなんかもやっていたみたい。
米があるのが当たり前。
そんな豊かな時代に生まれてありがとうのはずだ。
なのに、無くなった時に、今までありがとうが言えない。何で無くなったんだと、騒いでしまう。
東日本大震災の時、電気が足り無くなった。
その時も、今まで供給してくれてありがとうとは思えずに。
どうしてくれるんだ、早く復旧しろ、なのだ。
今はスマホ全盛だから、なおさら電気が無くなったら混乱だろうな。
その時分に物流が滞って、パンがコンビニやスーパーから消えたりもしたな。
ガソリンも無くなったっけ。
これらも同様だ。
それらが安定してあるということは、誰かの多大な努力で成り立っている。
水道の蛇口ひねれば水が出るのも、水道管と、保守の人がいてこそ。
感謝したいよ。
備蓄米のニュースでね、そんなことを思うのよ。
いつの間にか、栄養価だ、味だと言い出すけど。
食べられているんだぜ。
飢えてないんだぜ。
0 件のコメント:
コメントを投稿