2020年1月7日火曜日
作品になるために
最近、音楽とは関係のない、とあるモノに応募するために時間を割いている。
何かは、結果が良かったら言おうと思っている(笑)。
ヒントは詩的なモノ。
こうしてブログを書いたりしていますが、毎日更新を目標にしています。
ブログを始めた当初、極力ライブ告知はしないでおきたいな、と思っていた。
インディアーティストのブログの大半は告知のためだし、大体続かないで終わっている(笑)
そしてそんなものだから、端的に言うとつまらないものが多いなぁと思っていた。
僕のブログが面白いかはすごく怖いけど、何か読んだ人のプラスや発見になればいいなぁと思っているし、曲を書く動機も同じだ。
ただ、ブログは毎日書くし、元々文章だけで勝負できる力量もない。
作品にしたいと書いてはいるが、そこまでいけていない気持ちがある。
ブロガーと呼ばれる人たちは本当にすごいなぁと思う。
きちんと面白い。
今、応募するための「作品」を書いているのだけど、曲を書くときと同じ気持ちで書いている。
一文字一文字の必要性を感じながら書いては消し、書いては消し、結局一文字も残っていなかったりするけれどそれも愛しい。
こんな曲を書きたいとか、モチーフは沢山ある。
しかし、それを「作品」としてまとめていく作業は実にシビアだなぁと思う。
簡単にまとめて、作品です、と出すことはできるのだけど。
それではせっかくの材料が、言葉が、勿体ない。
料理に似ているのかな。
立派な材料を使っているのに不味かったら、その材料達に申し訳ない訳だ。
きちんと生まれてほしいな。
そうして今日も時間を使う。
2020年1月6日月曜日
定期券買います?
今日、定期券を買った。
夕方に(笑)。
朝に電車乗るときに更新していなかったことに気づいたのだ。
明日からにしたけど。
最寄りの駅には定期券を買える自動券売機が二機ある。
僕が買うときは夕方なのに、その券売機にはそこそこ長い列ができていた。
やはり今日から仕事初めという人も多いのだなぁ、なんて思いつつ。
ただ、俺の前のヤツは定期券じゃなくて、1000円チャージしていきやがった。
チャージだけなら他の券売機でもできるんだよ。
そっちでやれよ、と思いつつ(笑)。
さて、俺の番。
支払いを終えて帰ろうとしたとき
「あの、すいません。定期券買ってます?」
と、見知らぬおじいさんに声をかけられた。
なんだ?
チャージだけしたヤツにイラついた僕だが、おじいさんは逆に定期を買うのが遅いよ、とでも言いたいのだろうか。
そそくさと去ろうとしたら
「あの、券売機で定期券を買うのが初めてなもんでねぇ」
とのこと。
なるほどー。
そういうことか。
とても優しい気持ちで操作を教えてあげたよ。
僕は声をかけたら応えてくれる人に見えたんですかねぇ。
人には優しくしよう。
夕方に(笑)。
朝に電車乗るときに更新していなかったことに気づいたのだ。
明日からにしたけど。
最寄りの駅には定期券を買える自動券売機が二機ある。
僕が買うときは夕方なのに、その券売機にはそこそこ長い列ができていた。
やはり今日から仕事初めという人も多いのだなぁ、なんて思いつつ。
ただ、俺の前のヤツは定期券じゃなくて、1000円チャージしていきやがった。
チャージだけなら他の券売機でもできるんだよ。
そっちでやれよ、と思いつつ(笑)。
さて、俺の番。
支払いを終えて帰ろうとしたとき
「あの、すいません。定期券買ってます?」
と、見知らぬおじいさんに声をかけられた。
なんだ?
チャージだけしたヤツにイラついた僕だが、おじいさんは逆に定期を買うのが遅いよ、とでも言いたいのだろうか。
そそくさと去ろうとしたら
「あの、券売機で定期券を買うのが初めてなもんでねぇ」
とのこと。
なるほどー。
そういうことか。
とても優しい気持ちで操作を教えてあげたよ。
僕は声をかけたら応えてくれる人に見えたんですかねぇ。
人には優しくしよう。
2020年1月5日日曜日
錯覚
今日、車を長距離移動して帰ってきました。
我が家です。
正月休みも今日で終わり。
ひとまず明日からいつもの生活に戻ります。
1/1の明けましておめでとうもそうですが、何故人は新年になるとリセットされる気持ちになるのだろう。
それは、新学期や月始め、十代二十代とか、今日明日なんかもそうかな。
何かが切り替わる線というものを人間は引きたがる。
新天地、引っ越し何かもそれにあたるだろうか。
時間の概念以外でもそれはある。
新しく何かが始まると思っている。
僕は今日そんな感覚を得た。
さぁ、明日からまた切り替えるぞ、なんて思ってる。
しかしそれは錯覚かもしれない。
切り替わろうと思ったらいつだって人は変われるじゃないか。
別に新年とか、明日とか、そんな線を待たなくてもいい。
いつやるの、今でしょな訳だ。
リセットされるような感覚は錯覚だ。
例えば19から20になった瞬間、特に何も変わらなかったというのは良くある話だ。
ただ、
そのキッカケで変わろうと思えるのならそれでもいいじゃないか。
とも思っている。
何も変わっていないけど、変わる気がする。
始められる気がする。
その錯覚を信じて進んでしまえ。
気づかなければ、その錯覚は多分正しい。
錯覚と気づく前に調子に乗っていこう。
明日から、また頑張れそうである。
我が家です。
正月休みも今日で終わり。
ひとまず明日からいつもの生活に戻ります。
1/1の明けましておめでとうもそうですが、何故人は新年になるとリセットされる気持ちになるのだろう。
それは、新学期や月始め、十代二十代とか、今日明日なんかもそうかな。
何かが切り替わる線というものを人間は引きたがる。
新天地、引っ越し何かもそれにあたるだろうか。
時間の概念以外でもそれはある。
新しく何かが始まると思っている。
僕は今日そんな感覚を得た。
さぁ、明日からまた切り替えるぞ、なんて思ってる。
しかしそれは錯覚かもしれない。
切り替わろうと思ったらいつだって人は変われるじゃないか。
別に新年とか、明日とか、そんな線を待たなくてもいい。
いつやるの、今でしょな訳だ。
リセットされるような感覚は錯覚だ。
例えば19から20になった瞬間、特に何も変わらなかったというのは良くある話だ。
ただ、
そのキッカケで変わろうと思えるのならそれでもいいじゃないか。
とも思っている。
何も変わっていないけど、変わる気がする。
始められる気がする。
その錯覚を信じて進んでしまえ。
気づかなければ、その錯覚は多分正しい。
錯覚と気づく前に調子に乗っていこう。
明日から、また頑張れそうである。
2020年1月4日土曜日
断らない先
今日はその場の流れでゴルフの打ちっぱなしに行こうということになった。
ゴルフなんて紳士のスポーツには、今まで一度もトライしたことはない。
人生初体験である。
打ちっぱなしゴルフ場にも初めて行った。
僕はとにかく、人の言われた通りにやってみるということができない。
それは精神的なものではなく、順を追ってやるということが苦手なのだ。
ダンスなんかやってみた日には大変だ。
いわゆるエイトカウントというもので、振りを覚えるとき。
もうツーエイト以降が頭に入ってこない。
16カウントを覚えられないのである。
手順とか数式とかならまだ大丈夫なんだけど、自分の肉体を使って何かをすることがとにかくできない。
球技もしかり。
何か道具を介してスポーツをすることで、上手くやれた試しがない。
体重移動をしないで身体をねじるとか
左手を曲げないようにとか
沢山「正しいフォーム」のことを習うけど、一つも上手くできなかった。
俺は本当に不器用だ。
しかしまぁ、本当にまっさらな状態で物事に挑むということは年を取るにつれ少なくなる。
今日もその場の流れで行くことになっていなければ断っていただろう。
正直四打目くらいで投げ出しそうになったけど(笑)
ゴルフ場の独特の空気を味わうこともできたし。
最終的に楽しかった。
昨日のブログで、やろうと言われたことができないと書いたけど、今日は流されるままに行動できた訳ですね。
拒否しなかったというか。
駆り出してもらって良かったです。
ゴルフなんて紳士のスポーツには、今まで一度もトライしたことはない。
人生初体験である。
打ちっぱなしゴルフ場にも初めて行った。
僕はとにかく、人の言われた通りにやってみるということができない。
それは精神的なものではなく、順を追ってやるということが苦手なのだ。
ダンスなんかやってみた日には大変だ。
いわゆるエイトカウントというもので、振りを覚えるとき。
もうツーエイト以降が頭に入ってこない。
16カウントを覚えられないのである。
手順とか数式とかならまだ大丈夫なんだけど、自分の肉体を使って何かをすることがとにかくできない。
球技もしかり。
何か道具を介してスポーツをすることで、上手くやれた試しがない。
体重移動をしないで身体をねじるとか
左手を曲げないようにとか
沢山「正しいフォーム」のことを習うけど、一つも上手くできなかった。
俺は本当に不器用だ。
しかしまぁ、本当にまっさらな状態で物事に挑むということは年を取るにつれ少なくなる。
今日もその場の流れで行くことになっていなければ断っていただろう。
正直四打目くらいで投げ出しそうになったけど(笑)
ゴルフ場の独特の空気を味わうこともできたし。
最終的に楽しかった。
昨日のブログで、やろうと言われたことができないと書いたけど、今日は流されるままに行動できた訳ですね。
拒否しなかったというか。
駆り出してもらって良かったです。
2020年1月3日金曜日
境目
深夜バスで帰ってきた影響がまだ残っていたのか、とにかく寝ていました。
誠に寝正月。
健康と体力は大事である。
一家団欒などの時間に少し眠らせてもらいましたが、罪悪感もすごい。
みんながそうしているときに自分がそうできない、ということにいつも劣等感を覚えます。
例えばみんながカラオケで楽しんでいるとき、帰りたくなったり。
みんなで写真を撮ろうよってときに写りたくなかったり。
どうしても抗ってしまうときがたまに訪れる。
そんなとき、相手に悪意や裏がある時は楽なのだが。
善意からその行動がくる時は、自分への劣等感は罪悪感に変わる。
素直に生きること。
わがままであること。
境目がまだわからないなぁ。
誠に寝正月。
健康と体力は大事である。
一家団欒などの時間に少し眠らせてもらいましたが、罪悪感もすごい。
みんながそうしているときに自分がそうできない、ということにいつも劣等感を覚えます。
例えばみんながカラオケで楽しんでいるとき、帰りたくなったり。
みんなで写真を撮ろうよってときに写りたくなかったり。
どうしても抗ってしまうときがたまに訪れる。
そんなとき、相手に悪意や裏がある時は楽なのだが。
善意からその行動がくる時は、自分への劣等感は罪悪感に変わる。
素直に生きること。
わがままであること。
境目がまだわからないなぁ。
2020年1月2日木曜日
時間の流れ方
昨日、深夜バスで帰省しました。
今日の早朝に到着して昼前まで寝かせてもらい、1日をゆっくり過ごしました。
年賀状を見て
雑煮を食べて
初詣に行き
オードブルを食べる。
時間の流れがゆっくりだ。
時間は誰にでも平等に与えられているようだけど。
毎日の暮らしより、ゆっくり流れている。
本当に平等に毎日24時間なんだろうか。
時間の流れを早くするのも
遅くするのも
自分次第なのかもしれないなぁ。
遅いことが悪で
早いことが良しとは言えないかもしれないが。
色んな形の時間があるなぁと思いました。
写真は初詣の行列。
寒かったー
2020年1月1日水曜日
定型文に思ふ
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。
上記の文は定型文だ。
定型文と言うのは、個人の気持ちが入りづらい。
例えばおめでたく思っていなくても「おめでとう」と言えてしまう。
定型文は便利な反面、うまくやれているかのような危険性をはらんでいるのだ。
僕がブログで良くネタにする、
「顔と名前だけでも覚えて帰ってください」
という、アーティストの定型文もこれにあたる。
「出来たらファンになってください」とか
「怖いからあまり難しい顔で聴かないで」
とかいう気持ちもすべて覆い隠して、
「顔と名前だけでも覚えて帰ってください」
という言葉で解決できた気になるのだ。
もっと言うと、便利な言葉に逃げている。
前に湯浅さんが、
「TwitterやFacebookで繋がりましょう」
というべき流れの時に
「郵便番号を交換しましょう」
と言って大爆笑したことがある。
これが表現であり、考えている人の言葉だ。
明けましておめでとうございますも、
「こちらは一向に明けません、そちらはどうですか」
「明けなくてもめでたくいこうぜ」
「明けるか明けないかじゃない。
やるかやらないかだ」
何でも遊べるじゃないか。
そして、大事なのは
「明けましておめでとうございます」にリスペクトを払うことだろう。
明けましておめでとうございますが「正当」で「常識的」な挨拶であることを理解した上で、俺ならこうやるけどなぁと脳みそを使う。
これがユーモアや表現力になると思うんだけどなぁ。
さぁ、新年一発目からこんなブログで始めて行きたいと思います。
今年も、その先もよろしく。
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