昨日の配信を終えた後に、ブログで「いかに自分がイメージの中に囚われていたのかを知る。」と書いたのだが。
専門時代にもらった「君は自分で作ったイメージに溺れるんだね」という言葉をふと思い出した。
講師で来ていた文学座の故、藤原新平先生に言われた言葉だ。
新平先生とはそれから二、三回講義でご一緒しただけだ。卒業公演もやられていたけど、僕はその座組ではなかったし、特に大した接点はなかった。
僕は正直言って、新平先生が苦手だった。
その頃でも、もう新平先生は70歳越えの大ベテラン。
他の先生方も気を遣っていて、誰だよこのジジイ、であった。
そして、専門学生にとっては非常に駄目が分かりづらかった。今思えば高度だったんだ。当たり前なんだけどね…今の僕が聞いたら理解できたのかな。
で、専門学校に来てるぐらいだから、もう引退した「全盛期を過ぎた人」でしょ、ぐらいに思ってた。本当に失礼…
なので、新平先生の卒業公演のオーディションは受けなかったし、この人から学ぶことはあまりないと決めつけていた。
そこで、上記の「君は自分で作ったイメージに溺れるんだね」のお言葉。
言われた時は、マジで分からんかった(笑)
で、つかみどころのないその駄目に「上手い言い方してるけど、なんとでも言えんじゃん、そんなの」って思ってた。…若い💦
でも続けていると、その言葉の本質が見えてくる。
新平先生は僕には見えない世界が見えていただろうし、まだ二十代のアホに、何かしらクリティカルな言葉をかけようとしてくださってたのだ。
勿論反抗的な態度をとっていた訳ではないが、謝りにいきたい(笑)
その時に理解できなかったことが、今ならわかる、ということはありますね。
最近、すごくメンタルが落ち込んでいたのだけど。
どこか、生きることを宿題にして、○をもらうように生きていたかもしれないなぁと思いました。
流しも成功させたくて、親としても満点でいたくて、毎日自分に負けない男でありたかった。
それはそれで立派なのだが、息が苦しくなっていく。
僕は「自分で作ったイメージに溺れていた」のだと思う。
○をもらおうとすると、✕が怖くなる。
だから、✕の理由が見えてきて、また怖くなる。
もらうなら二重○か、二重✕。
いつの間にか守りに入っていたな。
0 件のコメント:
コメントを投稿