2019年6月3日月曜日
救われた記憶
サンデージャポンで、太田光さんがかつての自分に対して言及してる記事を読んだ。
いわゆる川崎殺傷事件のことでコメントしていたのです。
詳しくは記事を拾って読んでいただくとして、抜粋いたします。
引っ掛かったら消します。
「俺なんか、(犯人と)同じ50代ですけど、やっぱり高校生くらいのときに、あー、俺も何も感動できなくなったときがあったんですよ。物を食べても味もしない。そういうときにやっぱりこのまま死んでもいいんだっていうくらいまで行くんだけれども。自分がそうなら、他人の命だって、そりゃあ、大切には思えないよね」
「だけど・・・、そのときに俺のきっかけだったけど・・・」
「たまたま美術館に行って、ピカソの絵を見たときになんか急に感動が戻ってきたの。何を見ても感動できなかったんだけど・・・。ピカソを理解できたってわけじゃないんだけど、そんときの俺は『ああ、こんな自由でいいんだ』と。『表現って・・・』」
「そこからいろいろなことに感動して、いろいろなものを好きになる。好きになるってことは結局、それに気づけた自分が好きになるってことで・・・。それっていうのは、人でも文学でも、映画でも、何でもいいんだと・・・。
そういうことに心を動かされた自分って、捨てたもんじゃないなって思うの。
生きている生物や人間たちの命もやっぱり、捨てたもんじゃないのだと」
涙が止まらなかったなぁ。
僕は大学で何もかも無くしたような気持ちになった時に
ブルーハーツに出会って、ゆずに元気付けられて、槇原敬之の優しさに学んだ。
結局僕が表現を続ける理由はそこなんだなって思った。
表現に救われたから、表現をして恩返しをしているんだな。
それが宗教の人も、恋人の人もいるだろうさ。
あー、今自分がね。
自分がやれていることが。
すごく誇らしくなった。
太田さんの言葉が、ピカソでした。
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