2019年6月14日金曜日

あなたにとってのいいね


昨日路上をやってきたというツイートに、20のいいねが付いた。
恐らくちっぴー効果と思われるが正直非常に嬉しい。
普段の数字からはなかなか出ない数字なのでね。


僕が昔から「いいね」を無闇に押さないでくれ、SNSで無闇に絡まないでくれ、と言い続けてしまったので、よく知る人はあまりいいねを付けないのだが(笑)
申し訳ない。


僕は常々、いいねの質について疑問を感じていた。
かつてmixiにいいねが導入されたときに非常に気持ちが悪かった。

何故、コメントだけでは済まされないのだろう?
コメントするほどでもないが、チェックしたよ、くらいのものなんだろうかと思った。
多分コメントをわざわざ残すのが負担だというのが導入された主な理由なのだろう。


Twitterに存在する、何でもかんでも「いいねリツイートをかましてくる人」が好きになれなかった。
そういう人は大概、どのツイートにもいいねリツイートを付けているものだ。
全て繋がった人の投稿にいいねを付けてくるぐらい。
その人のページに飛ぶと、いいねリツイートしましたのオンパレードだ。

この人のいいね、はなんのためにあるのだろうと思ってしまうのです。
好きと嫌いが見えない不気味さとでも言おうか…


僕はいいな、と思ったものにいいねを付けるので、いいね、と思ったものにだけいいねを付けるだけでいいのになぁと思う。
好意というのは、ある種の贔屓から生まれるのだろうから。

誰でも、どの投稿でも、いいねを付けるなら最初からゼロで良いのではと思ってしまう。
感動のボーダーが人より低くて、何でも好意的に捉えるのかもしれないけどね。
そうだとしたら失礼になってしまうのだけど。


ちなみに僕のツイートに未だに結構いいねを付けてくださる方は、闇雲にいいねは付けていない印象だ。
アイドルの推しだとかそういったものと同じだと思うけど。
シャイニーズを含めて、贔屓の人の活動を応援したい、という気持ちから、いいねリツイートが増えていると思われる。

これには僕は嫌悪感は感じない。
この人の発言や活動が好きなんだぁと贔屓が見えるから。

逆にシャイニーズにいいねを付けないで、
違う人にいいねをつけているのも気持ちいい。
シャイニーズよりもその人たちのことが好きなんだなぁと思えるから。


僕の今回のいいね20というのも、

普段付けてこない人たちからもいいねが付いて20になったことが重要な気がして。
見ているんだなぁとか、路上お疲れさまと思ったのかなとか、そんな意思を勝手ながら感じたもので。

多さではなく、数字の内実に目を向けていけたらいいなと感じる数の話でした。

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