2025年7月19日土曜日

気分と人権

 昨日、Testosteroneさんという方の本を買って読んだ。

Xでも、ユーモアの化物みたいな方なので是非知ってほしい。


Testosteroneさんの本を買う前に、稲垣諭さんの「やさしいがつづかない」という本を立ち読みした。時間がなく、結局買わなくて申し訳ないのですが、タイトルからしてビビッときた。

そこに、何故「人権」というものを人類が設定したのかということを書かれていて、すごい興味深かったのね。


人権が無いとどうなるか。


例えば

「ウクライナに侵攻したプーチンなんて死んでしまえばいいんだ」

「あんな不祥事を起こした芸能人には罵詈雑言を浴びせてしまえ」

「酷いことをしたんだから、お前も同じ目にあうべきだ」

「飲酒運転で家族を殺した人間を、同じように轢いてしまいたい」


こういったことを少なからず人間は思ったりしてしまう。


そして、「人権」が無いとこういったものを止めるブレーキが無いんだそうだ。


つまりは、気分とか、多数の意見とか、時代の空気とか、そういったもので決まってしまう。

それが正しければいいのだけど、間違うこともある。

飲酒運転の例で言うなら、家族を失った人が同じ殺人を正当化することになる。許せない、という感情で殺人は正当化されてしまうのだ。

人権が無ければ、簡単に人の権利を侵害できるのである。

正に戦争の論理なんだけど。


そうか、平和な日本で、一応人権が保証されている時代に生きている僕だけど、そういった恩恵は感じたことがなかったな。

暴走のストッパーなのかね。


それこそ僕は今日、とんでもなく落ち込んでいるのです。

人の気分とか感情は本当にあてにならんよ。

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