2019年6月20日木曜日

怖いからやる

6/29のライブが迫ってきた。
前々から準備してきたイベントてある。

今日はメトロノームで練習を一時間以上やったあとに、ちっぴーと練習をやってきた。
新曲も形になってきた。


新曲というのは緊張するものなのだ。
前からある曲は、それこそ何度も聴いている人には思い入れとか色々出てくる。
あの曲が聴きたいという気持ちでライブに来る人もいるはずだ。

それでもその曲たちを押し退けて新曲を披露するからには
「とりあえずやってみた」になってしまうと非常にカッコ悪い。

結局いつもセットリスト入りをする曲の方が反応が良かったりすれば、新曲が
「あれ、あんまり良くないのか…」という判断を下されかねない。

正式な実力を発揮できないまま、その曲が死んでいくのは非常に失礼だ。
残念ながら、中途半端な状態で披露したが故に寝かせてきた曲も多数ある。
新曲というのは一番自分が信じられる曲のはずなのだから。
だってもうある曲に満足してたら創らないもん。


今までの曲以上に仕上げるつもりで臨まねばな、と毎回思う。
そして、そうでなければ怖くてできないのだ。

ちなみに、まだ怖い(笑)。
だから練習するしかないようだわ。

2019年6月19日水曜日

1%

今日、お昼に100円寿司に行ってきました。

いつも夜に行かせてもらっているのだけど、今日は用事があってその流れで。

僕は演劇の専門学校に入る前、宅配寿司の社員をしていたのでお寿司には少しうるさい。
しかし、100円寿司にそこまでクオリティを求めてもいけないよな、とも思っていた。

いつも夜に来店するときは、恐らく学生の子達がバイトで働いている。
良い子もいるんだけど、やはりたらたら働く子は多いのだ。
時間さえ稼げば金がもらえるという気持ちが透けて見えることがある。

しかし、今日のお昼は、恐らく主婦のパートさんらしきバイトさんが多かった。
だらだら働く老害のようなオバサンパートさんもいると思うが、今日の方たちは軒並みレベルが高くて、非常に満足のいくお食事をさせてもらいました。

差がなんなのかはよくわからないけど、同じ商品と店でもここまで居心地が変わるのだね。

別に僕はそのお店に嫌な思いをさせられたことはないけれど。
例えば二度と行かねぇと思ったところにも、再評価の可能性は1%くらいはあるのかもしれませんね。

2019年6月18日火曜日

ポケベルが鳴らなくて

昨日、月曜から夜ふかしという番組に町田の路上ライブの模様が放送される、かも。
という旨のお知らせをしていました。

チェックしてくださった皆様、ホントにありがとうございます。
ただ、撮影されたディレクターさん?が、17日に放送と言っていたと思ったのだが…。
聞き間違えか、はたまた予定が変わったのか、来週24日に町田の模様は放送されるらしいです。
深夜一時間かじりついて観てくれてた方には申し訳ねぇっす。


テレビって、こう考えるとやっぱりまだまだ「憧れ」のメディアなんだなーと思います。
YouTubeとかの発言力が勝ってきて「終わった」とか言われるとはいえ
「テレビ出るかも」って言えば
「え、すげぇじゃん」と確実に言われるもんね。


僕はラジオが好きなんですが、ラジオもテレビが出てきたときに
「終わった」という烙印を押されたと思うんですね。
同様にCDに対しての「レコード」とか、メールに対しての「手紙」もそうかしら。

でも、ラジオもレコードも手紙も生き残っている。
CDも配信に負けず、メールもLINEがあっても続いていくだろうと思う。
プリクラもスマホ写真全盛なのに人気を盛り返したとも聞いたなぁ。

それは多分、形が違って存在価値が違うからだよね。

ポケベルは無くなりましたがね(笑)。
情報伝達、ということだけ考えたらメールに勝てなかったのだろう。
それだってそれ以外の使い道で復活するのかもね。
公衆電話にわざわざ行くのがたまらなく楽しい、とかさ。

何にでも魅力があり、何だってあって良いんだよなぁ。

2019年6月17日月曜日

出会う場所

今日は毎度お馴染み、と言えるのが嬉しい橋本GOHANで歌ってきました。

セットリスト

1.もぐらの目
2.朝風呂
3.アイデンティティ

1.伝えごと
2.コネクション
3.ぼくはえんぴつ

最近路上ライブをやりたいな、と思えるのはゴハンのライブがあったからに間違いない。
役者をしていた身としては生声で表現するのってやっぱりいいなと思ったし、主宰のふみ亀が一人で路上に立ったことにも刺激を受けたし。
音楽と人との向き合い方、繋がり方を改めて感じさせてくれた場所なのです。

中国人のお客様に、
「個性がある」と言われて上機嫌(笑)
音楽で繋がった気がした。
思い込みだとしてもね。

今日出会った人にライブに誘われ、来週に共演することにも(笑)


SNSや、東日本大震災が起こった時から、
「繋がる」という言葉がえらく安っぽく使われるようになってしまった。
「絆」なんかもそうだろう。
商売の臭いが漂うようになったとでも言おうか。


その言葉の便利な響きを利用して、繋がろうとする輩に目を光らせております(笑)
野村です。

利用するだけなら帰ってくれ。
ホントに繋がりたいなら話そうじゃないか。
今日はそんな歌「コネクション」を唄いたくなって唄いました。


三日連続よき夜です。今日も。

2019年6月16日日曜日

再生

昨日はソラマメですのライブを観てきたのだが、今日は町田プレイハウスにライブを観に行ってきた。
franfranのえいだがライブをするというのでね。

共演も僕が動向を気にしている人が多くて楽しみであった。

出演していた
松下譜割も、
えいだも、
次のステップに進もうと、懸命にもがいていた二人であった。
Nob+さんもライブ運びが素晴らしかったなぁー。
お前たちはアーティストで、ロックンロールで、バンドマンであれ。
そんなことを感じていたよ。

例えば、えいだのことを「元franfran」と呼んでいいのか非常に迷う。
失礼にならないだろうかと。
諸事情あり、まだ活動はままならない状況だし。
本人の中で決着が付くのか付かないのかもわからない。

ただ再始動するその芽吹きを今日少なくとも二組観られた。
僕はちっぴーと涙を流した。

生きてるんだな。
昨日のソラマメですと同じ。諦めない生命力を感じた。
それに対して何かケチを付ける人間がいるなら、僕はそいつにNGを突きつけてやりたいよ。



観られなかったアーティストさんは失礼ながら抜きにして、後半三組は素晴らしかった。
6/29や明日のライブを前にして、今日という日を観賞できて、僕はホクホクです。
酒も進みましたわ。

いとおしい、ライブが続きます。


沢山のことは感じたが、それは酒の席に置いておく。
明日は我々の番だ。

2019年6月15日土曜日

職人



今日は盟友ソラマメですの、新企画「ソラマメキスポ」にお邪魔してきました。
雨の中急いで向かったが、オープニングアクトの三人を見逃してしまったことが悔やまれる。
まぁ、一曲半聴けたので良しとしよう。

今回は「新感覚な音楽の博覧会」と謳っていて、15周年を迎えたソラマメですが、予定調和を壊そうと何かを企んでおるのだなぁと楽しみにしておったそうな。

日本昔ばなしの語り口を言いたくなっただけ。


合間にコアなトークショーがあり、ライブドラマと言われるお芝居もあるバラエティー豊かな構成だった。
僕としてはライブ公演と名付けられていたころに、ソラマメですを知ったので、今回の復活は願ってもないことだった。

ライブ自体も新しい試みが満載で、まだまだ創造力がつきないのだなと感心した。
途中、ソラマメですがお互いの役割を交換する場面があったのだけど、ぎこちなくて笑った。
そして逆説的に、お互い他の人にはできないことをやっている職人なのだなぁと。

先輩であり、同志と思っているのだけど。
報われていけばいいなぁ。
みんな幸せになれるのにねぇ。

これからも、飛べ、ソラマメ。
(僕が一番好きな曲)

2019年6月14日金曜日

あなたにとってのいいね


昨日路上をやってきたというツイートに、20のいいねが付いた。
恐らくちっぴー効果と思われるが正直非常に嬉しい。
普段の数字からはなかなか出ない数字なのでね。


僕が昔から「いいね」を無闇に押さないでくれ、SNSで無闇に絡まないでくれ、と言い続けてしまったので、よく知る人はあまりいいねを付けないのだが(笑)
申し訳ない。


僕は常々、いいねの質について疑問を感じていた。
かつてmixiにいいねが導入されたときに非常に気持ちが悪かった。

何故、コメントだけでは済まされないのだろう?
コメントするほどでもないが、チェックしたよ、くらいのものなんだろうかと思った。
多分コメントをわざわざ残すのが負担だというのが導入された主な理由なのだろう。


Twitterに存在する、何でもかんでも「いいねリツイートをかましてくる人」が好きになれなかった。
そういう人は大概、どのツイートにもいいねリツイートを付けているものだ。
全て繋がった人の投稿にいいねを付けてくるぐらい。
その人のページに飛ぶと、いいねリツイートしましたのオンパレードだ。

この人のいいね、はなんのためにあるのだろうと思ってしまうのです。
好きと嫌いが見えない不気味さとでも言おうか…


僕はいいな、と思ったものにいいねを付けるので、いいね、と思ったものにだけいいねを付けるだけでいいのになぁと思う。
好意というのは、ある種の贔屓から生まれるのだろうから。

誰でも、どの投稿でも、いいねを付けるなら最初からゼロで良いのではと思ってしまう。
感動のボーダーが人より低くて、何でも好意的に捉えるのかもしれないけどね。
そうだとしたら失礼になってしまうのだけど。


ちなみに僕のツイートに未だに結構いいねを付けてくださる方は、闇雲にいいねは付けていない印象だ。
アイドルの推しだとかそういったものと同じだと思うけど。
シャイニーズを含めて、贔屓の人の活動を応援したい、という気持ちから、いいねリツイートが増えていると思われる。

これには僕は嫌悪感は感じない。
この人の発言や活動が好きなんだぁと贔屓が見えるから。

逆にシャイニーズにいいねを付けないで、
違う人にいいねをつけているのも気持ちいい。
シャイニーズよりもその人たちのことが好きなんだなぁと思えるから。


僕の今回のいいね20というのも、

普段付けてこない人たちからもいいねが付いて20になったことが重要な気がして。
見ているんだなぁとか、路上お疲れさまと思ったのかなとか、そんな意思を勝手ながら感じたもので。

多さではなく、数字の内実に目を向けていけたらいいなと感じる数の話でした。