昨日下書きしていたブログ。
これに加筆するつもりだったが、そんなことできないぐらい充実の上野だったので。本日に。
カレーを作りながら、流しの曲を聴いていた。
長渕剛「乾杯」、玉置浩二「メロディー」など。
原曲と、現在の歌唱は結構違う。
上記のお二人は原曲通りにあまり歌わないイメージがある。まー、そうだろう。
乾杯なんか、透き通ってる声の時代の曲だし。
メロディーももう三十年も前かな。
その時の自分の表現をコピーして歌うこともない。
逆に徳永英明さんが紅白かなんかに出たときに司会者の方に「なんで、原曲通りに歌わないんですか?CD通りに歌って欲しい人沢山いると思いますよ」と言われたらしい。
徳永さんはそういう面もあるよな、と原曲通り忠実に歌ったんだそうだ。これもプロである。
原曲通りに歌うこと、歌わないこと。
相反することだが、どちらも真だと思う。
多分原曲通りに歌うことはお客様へのサービス。
歌わないことは、今の自分ならどう歌うか、という表現者の信念や理念だ。
どちらにも共通して大事なのは、それでお客様が満足できるかどうか、だけではないかと思う。
原曲を崩して歌って、違和感が残るのも問題だし。
いつまでも原曲の歌唱をなぞって「ライブ感がない、進化が見えない」と思わせてしまうのも問題だ。
結論、面白くて心が震えるなら、どちらでもいいんだろう。
僕も流しをやっているとオリジナルアーティストさんの歌唱に寄せてしまう。つまりはモノマネだ。
だが、モノマネ歌手の人ほど技術はないので、それでは何にもならない。
いつぞやの新宿で玉置浩二さんの「メロディー」をガッカリされてから、僕が流しでその曲を歌う意味…みたいなものを考え始めたことがある。
本物を聴きたいなら、原曲をサブスクかYouTube、CDで聴けばよい。
わざわざ他人が酒場で弾き語りで、アンプラグドでカバーするわけだ。
原曲には寄せられる訳がない。
桑田佳祐さんや、長渕剛さんのように癖が一発で分かるような歌手の曲はモノマネめいてもウケる。
しかし、玉置浩二さんのように癖があるけど、パッと癖がつかめないような超絶歌手だと、拙いモノマネ歌唱では絶対到達できない。僕の唄、として歌うことが必要だ。そうでしか歌えない、ということが分かってきたのだな。(桑田さんや長渕さんは癖の中に超絶技巧があるのも加筆しておく)
モノマネでもいい。
モノマネしなくてもいい。
お客さんにとっての、何か心が震えるものが提供できれば。
昨日のオリジナルで泣いていただいたことをまた思い出す。
僕には僕にしかできないことが、きっとあるのだろう。
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