2024年9月22日日曜日

 急に秋めいてきましたねぇ。

野村です。


季節の変わり目になると元気の無くなる僕ですが、今日はまさにそうでした。

朝に上手く起きられずゆっくり生きる。

息子と久しぶりに1日一緒で、お世話をしながら。

それで精一杯です。

珈琲を飲んでも食事をしても目が覚めづらく、左足も相変わらず痛いしねぇ。


お出掛けは難しいと思っていたのですが、小雨になったので二人で散歩。

水溜まりにはしゃいでバシャバシャする息子。

図書館のようなところがあり、そこで沢山本を拡げる息子。

お前は可愛いな。


以下、思いもよらぬ長文に。




日本人学校の死傷事件のニュース。

イスラエルとヒズボラのニュース。

そんなニュースを観ると思うんです。


人を殺す人には子どもがいないのかなって。

今ここに爆弾が落ちてきたら、僕はとても悲しい。

それを人にやるのかって。

何故やれてしまうのかって。


でもね、もし爆弾を落とされて、僕だけが生き残ってしまったら。

僕は爆弾を落とした人を殺めたいと思うかもしれない。


昔演劇を勉強していた時に「役の心を理解する」ということを学んだ。

冷徹な殺人鬼も、人を人とも思わない詐欺師も、悩みが無さそうで非の打ち所のない偉人も、動物に育てられた言葉を知らない人間も…

必ずそうなってしまった理由がある。

それこそヒトラーを演じるとしたら、何故あれだけユダヤ人を迫害できたか、自分の中に入れなければやれないんだ。

それを理解できなれれば他人を演じられない。

その人の行動を腑に落とさなければ演じるなんてお遊戯だ。


戦争を肯定したいんじゃない。


戦争を起こす奴らに想像を巡らせられないならば。

「あんなことをする人の気がしれない」だけで、終わらせてしまうのであれば。

それは思考放棄なのかもしれない。

僕がそうならない保証なんか、何処にもないんだ。


犯罪者と言ってしまうが、

金が無いから盗るのかもしれないし。

仕事のために殺すかもしれない。

生活のために爆弾を作るかもしれない。

政治のために核を用意しているかもしれない。


重ねて、僕がそうならない保証なんか、何処にもないんだ。

明日食うに困ったら、僕も盗みを働くかもしれないんだから。

綺麗事を言えている、今のこの日本の生活をありがたく思いたい。


犯罪に手を染めることなく、

犯罪に奪われることなく、

家族を守りたい。

僕はどれだけ勝てるんだろうか。


季節の変わり目だから、こんなことを考えてしまうのか。

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