2020年8月3日月曜日

誰かの必要

少し演劇的な発想のお話。


僕はキャバクラなどの、いわゆる「接客を伴う飲食店」には行かない。
勿論ホストクラブにも。
居酒屋は仲間となら行きたいが、酒がそこまで好きではないから、無くても宅飲みで我慢できる。


夜の街で、感染が拡大するというニュースを見るにつれ、
「そんなとこ、このご時世に行ってんじゃねぇよ」
と思っていた。
クラスターが発生したら尚更。

そして最近各自治体で、時短営業の要請や、地域を名指ししての休業要請がでてくるようになった。
「お気の毒に…まぁでも、この感染者の数字ではねぇ…」
とも、思った。


興味がない分野に対して、人間は簡単に切り捨てて考えてしまう。

苦しいだろうけど、しょうがないね。
我慢してよ、落ち着くまで。
といった論理なのである。



しかし、僕が大好きを再確認した ライブハウス。
それこそまさに
「苦しいだろうけど、しょうがないね」
「今は休んでてよ」
に、苦しめられている世界だったのだ。

ライブハウスも同じく興味のない人からしたら、
「家でCD聴けよ」
「スマホで配信観てろよ」
「DVDとかYouTubeがあんだろうが」
「生の演奏も、録音も大して変わらないだろ」

それだけの存在なのだろう。

だから、今はライブハウスなんか営業するな。
と、言う。

そういった声に、どれだけ憤っていたか。

何も知らないのに言わないでくれ、と思っていたのだ。


なんか、全てを平等に扱いたい訳ではないんだ。

ただ、「自分にとって」必要でないってだけで、
誰かの必要を否定するのはやめた方がいいなって思ったんだ。

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