2021年4月15日木曜日

子どもにみせたくないものを

 昨日 TikTok がつまらないと書いたら、めちゃめちゃ楽になりました。

野村です。


なんでしょう、最初にまぐれの400回再生があり、

「もしかしたらいけるのか?」と思ってしまったのが原因な気がします。

つまり「期待」をしてしまったのでしょう。


何度も書いていますが、その時は非常にやっつけの作品だったので、この曲よりいい曲を書けばなんとかなるんだろうと。

そう思ってしまったのだな。

しかし、どんどん再生されなくなり、なんやねん、となる。


そうして、TikTok民が好きそうなタイトルを付けたりして色々やってましたけど効果はなくて。

もとより、そこまで戦略的にやれるほうではありません。

それこそ再生回数を稼ぐノウハウも色々あるのでしょうが、興味はなく難しかったです。

フォロワーやいいねを1000円で買えるとか、ゲロ吐きたくなります。


その後の冷やかしコメントにより、自分の中で何かが弾けて。

別にいい子にならなくていいんだよな、と思えたのは大きな収穫でした。


忌野清志郎さんの著書に「【分かってくれない世間が悪い】と思えるか」という一節があって。

一見すると、ただの負け惜しみなんですよ。

ただ、ウケる方向に、売れる方向に、大衆の求めるものだけを書いて迎合していくのはつまらないと述べています。

世間の言う通りの価値観に、自分をはめ込んでいって良いのかと。そこに反発して曲げたくないから歌うんじゃないのかと。

僕もそれには同感です。

ただ、とても傷つくけれど。


そして、今をときめく Ado さんの「うっせぇわ」を聴きました。

賛否両論あるけど、僕は素晴らしい曲だと思います。上記の忌野清志郎イズムを一曲の中で歌ってしまっとる。

そして、ヒットもしている。

これは唄の理想系だと思う。


何より大事なのが、「うっせぇうっせぇ言って、この主人公は何もしてない」といった批評があり。

唄や、サビのうっせぇわに対しても議論が絶えない。


素晴らしいじゃないですか。


昨今の唄の話題なんてさ、何万回再生とか、何万ダウンロードとか、何万枚売れたとか、それこそそのタイアップの映画の興行収入が何億とか。

全部、数の話でさ。

唄の内容なんて、誰も知らない。

これだけ流行っているからすごいって話だけ。

勿論すごいのだけど、何を唄ってるかよりも、どれぐらい広まったかしか報じられない。

すごくイライラしてたんだ。

なんで経済とか株価の上昇を見つめるように、流行りを教えられなきゃいけないんだと。



でも、うっせぇわは、内容が先で。

一億再生されたってのが後。

僕の感覚からすると、「一億再生だから」聴くんじゃなくて、「子どもに歌わせたくない不謹慎な唄ってどうなのよ」「野蛮な唄だ」ってところから聴きに入ってる気がするんだ。

昔で言う、ドリフターズの番組だったり、ロックンロールの音楽だったりすると思うの。

子どもに見せたくないものの中には、何かの真実が潜んでいるのだと思う。


それを成し遂げてるこのムーブメントは本当にカッコいい。


僕が行きたいとするなら、ここなんだなって改めて再確認させていただいた。

創った Syudou さんに最大のリスペクトを。


もっと自由に、作品を書けたら素敵ですよね。

まだまだあっしはアマちゃん。

素人は素人なりに愚直にならねばと思います。


今日の曲はシャイニーズの練習の片付けの時に急遽録画したもの。

退室時間が迫っていたので、撮り直しできず。

でもこの不完全感を出しても良いのかなとも思えたのは成長かも。


明日はどんな曲が書けるか、これからは純粋に楽しめそうです。

0 件のコメント:

コメントを投稿