仕事初めし、帰ってきて爆睡。
今日は夜にこの僕が三時間しか眠れなかったのだ。
当たり前に眠かった。野村です。
まず、起きて地震が起こったことを後から知りました。色々無事でありますように。
元旦からすごいことになってしまいましたね。
郵便屋さんなので、年賀状を配ってきました。
年々減少しているとは言えどやはりものすごい数。
僕も書いたし、今日届いたけど、やはり人の文を見るとほっこりする。批判的な意見も多いだろうが、僕は年に一回人を想うのは悪くないと思っている。
配達したり、準備していると「この家、年賀状の量すごいなー」と感心することがある。
コンプライアンス的に言えないけど、大体学校の先生とか、弁護士、税理士…そういった人にはやっぱり多いよな。
僕は常々、最近のSNSに代表される、数の自慢みたいな風潮が苦手だった。
フォロワー何万、動画が何万回、動員何万…それだけで何がわかるってんだい。分かることも沢山あるけども。
数字に見合わない実力の人間がいるのも事実だから。
ですが、今日年賀状を配っていると…
昔も結婚式に何人呼べたとか、テレビの視聴率何%だとか、年賀状何通だとか、携帯の電話帳に何人登録があるだとか…
そういう数が世間様との付き合いのバロメーターだった時代もあったんだよなと思ったのさ。
高校で初めて年賀状を同級生に出したとき、親でなく自分宛の年賀状が今年は何通とか気にしてたし。
それこそ下世話だが、男女の経験人数が何人とかも実は張り合ってたりするよね。
童貞や処女、つまりはゼロってことが恥ずかしいと思って生きていた時代もあったもの。
形が変わっただけで、SNSに限らないで、結局数を張り合いながら人間は生きているのかもしれない。
江戸時代は何万石とか、何万の軍勢とか、そういったもので競っていたこともあったろうしね。
別に今の見栄を張る時代が見苦しい訳ではない。
多分ずっと人間は見栄を張っているのだ。
そんなことを年賀状から思ったのさ。
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