周りの言葉に惑わされることがある。
周りの正解を信じることがある。
しかし、そこで一つ立ち止まってみたい。
周りが間違っているかもしれないと。
耳に入れないのではない。
立ち止まって、聞いて、判断してみる。
正解の場合も多くあるだろう。
しかし、
不正解の場合もまた多くあるはず。
例えば親、家族、師匠、先輩。
無条件に信じたい人もいる。
でも、そういう「信じたい人」の言葉ほど、疑っていいのかもしれない。
信じたい心が、判断を鈍らせることもある。
信じないのではない。
疑ってみる。
疑問に思ってみる。
それだけで、不自由な世界は少し拓けるかもしれない。
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