飲むではない、味わうなのである。
野村です。
朝は忙しい、誰でもそうでしょう。
僕も朝の支度をしているとあっという間に時間が過ぎ去ってしまう。
最近はメンタルの不調により、ギリギリまで寝ていることも増えてしまったしね。
しかし、今日は朝の支度が終わったのが出発三分前だった。(いつもはちょうどか、一分オーバー)
あとは、淹れてあった緑茶を飲むだけだったのだ。
せっかく忙しいなか淹れたお茶なのに、いつもは一気飲みぐらいに流し込んでしまい出発する。
しかしそれではもったいない、お茶に失礼だ。
分かってはいるがそうなっていた。
今日ようやく最近復調してきたし、ちゃんと味わってみないとなと思った。
飲みごろの温度になった緑茶を飲む。
目を瞑ってみた。
身体の中に入って、胃に入るのがわかる。
鼻から風味が抜ける。
久しく感じて無かった感覚だった。
沁みる、といった感じだ。
なんか、それがとても豊かだったのだ。
人は放っておくと乱れてしまうから、昔の人は整えていく術を編み出していたと思う。
ヨガ、禅、瞑想。茶道とかもそうかしら。
僕がこうやってお茶を飲むのも、確か以前本か何かで読んだヨガの一種だったと思う。
自分に触れるものをしっかり感じるという動作。
僕は自分をないがしろにしていたよなぁと思ったのだ。
お陰で朝から真っ当に生きた気がする。
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