少しずつ復活してきました。
野村です。
常々落ち込むたびに思うのです。
「ふさわしくあろう」とすると失敗するなと。
寿司屋の店長。
青年座の座員、研究生。
もっと言えば父親としてだったり、妊婦を持つ夫でも。
僕が病むときはきまって、こうなりなさいというモデルがあるとき。
店長になったからにはもっとしっかりしないと。
研究生になったからには、もっと芝居に打ち込まないと。
社員になるからには、父親になるからには…
僕が勝手につくりあげた【ふさわしさ】なのですが、それにどうしてもがんじがらめになる。
窮屈になる。
僕を型にハメようとする言葉をしっかり受け止めてしまうのだ。
どうせハマれないくせに。
すごくそれをやめたいなって。
責任の放棄でなくて、自由になりたいと思いました。
沢山怒って、納得のいかないことには異を唱える。
頑張りたいけど、無理なときは無理と言う。
そんな感じ。
それを健康的と言うのかもしれません。
僕の唄はそういうことを忘れないために、大切だと感じたことを書き留めるように創ることが多々ある。
僕は先ほど配信をしましたが、自分のオリジナルを見直した。
素晴らしいことを言ってるじゃないか。
なかなかのクオリティじゃないかと。
オリジナルが好きということは、自分を好きでいられているということ。
【聖人君子にあこがれて】の
「今日ぐらいは人を思い切り憎んでしまおう」
【てくてく】の
「自分に適した頑張り方、分からないまんまだけど」
【君のペース】の
「僕一人じゃ笑えなかったから嬉しいな」
全部僕の宝物じゃないか。
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