2021年11月17日水曜日

脱ふさわしさ

 少しずつ復活してきました。

野村です。


常々落ち込むたびに思うのです。

「ふさわしくあろう」とすると失敗するなと。


寿司屋の店長。

青年座の座員、研究生。

もっと言えば父親としてだったり、妊婦を持つ夫でも。


僕が病むときはきまって、こうなりなさいというモデルがあるとき。


店長になったからにはもっとしっかりしないと。

研究生になったからには、もっと芝居に打ち込まないと。

社員になるからには、父親になるからには…


僕が勝手につくりあげた【ふさわしさ】なのですが、それにどうしてもがんじがらめになる。

窮屈になる。

僕を型にハメようとする言葉をしっかり受け止めてしまうのだ。

どうせハマれないくせに。


すごくそれをやめたいなって。

責任の放棄でなくて、自由になりたいと思いました。


沢山怒って、納得のいかないことには異を唱える。

頑張りたいけど、無理なときは無理と言う。

そんな感じ。

それを健康的と言うのかもしれません。


僕の唄はそういうことを忘れないために、大切だと感じたことを書き留めるように創ることが多々ある。


僕は先ほど配信をしましたが、自分のオリジナルを見直した。

素晴らしいことを言ってるじゃないか。

なかなかのクオリティじゃないかと。


オリジナルが好きということは、自分を好きでいられているということ。


【聖人君子にあこがれて】の

「今日ぐらいは人を思い切り憎んでしまおう」

【てくてく】の

「自分に適した頑張り方、分からないまんまだけど」

【君のペース】の

「僕一人じゃ笑えなかったから嬉しいな」


全部僕の宝物じゃないか。

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