怒りは何も生まない。
自分が怒りに飲まれて後悔するときにいつも思うことだ。
今日は久しぶりにそんな状態だった。
季節の変わり目も、気圧も、疲労もあっただろう。
とにかくイライラしていたのである。
午前中はそれを落ち着かせるだけで終わっていったように思う。
誰かに暴言を吐いたり、罵声を浴びせたい気持ちがあり。何回とそのシミュレーションが脳で行われた。
その気持ちのままいってしまったら一時的にはすっきりしただろう。
しかし、怒りは何も生まない。
いや、他人に怒りをぶつけても何も生まれないというのが正しいかもしれない。
ひとまず穏便に1日終えることができた。
怒りは活力だ。
それで、やってやるよという行動の源になることはある。
しかし、それを他人にそのままぶつけたら、やられた側は気持ちがいいはずがない。
どんなに正しくても、なんだお前、だけだ。
その怒りを料理したいのである。
整えたいのである。
そうして差し出された怒りは、意見だったり、注意だったり、忠告だったりするのだろう。
若しくはジョークや皮肉になるのかも。
表現や作品にだってなるだろう。
そのまま出すことだけはしたくない。
怒っている時は、自分を正統だと誰もが思うものだから。
そのまま出したいけれど。
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