2024年5月18日土曜日

切り替え

 どうも、明らかな寝不足で情緒が渋滞しとりますわ。

野村です。

まぁ、それが通常運転か。


前にオープンマイク参加したときもこんなんだったんですよね。自分の実力不足にイライラしたり、メソメソしたりして。

それはそれで楽しいのですが、とらわれがちでございます。

1日ずっとそのことばかり考えていた。

僕は切り替えるのが下手なもんで。


帰ってきてからもそうだったのですが、息子の寝かしつけのあと、ちっぴーと女子バレーの動画を観たんですね。

スポーツはいい。

瞬間瞬間があるから。

考えている間に過ぎ去っていく。

勿論、考えて、ものすごくクレバーにプレイされているだろうけど。

瞬間瞬間がある。


それは、とてもライブに似ていた。

一つのミスとか、自分のプレイヤーとしての資質とかを疑問に思っている暇は無い。切り替えねばならんだろう。

勝負ごとに懸けている方は、しっかり勝ちにいっている。


音楽は勝ち負けではないと言い切れる部分もある。

だから、覚悟が甘くなることがある。

僕もこのぐらい集中してプレイしたいと思わせてもらった。


そして、ちっぴーと観ていたら、自分一人だけの世界から少し脱することができていた。

あぁ、また僕は独りになろうとしていたのかもしれない。


悩むなら一緒に。

笑うなら一緒に。

力をつけたいのだ

 どうも、野村です。

今日、というか昨日、オープンマイクに行ってきました。


まぁ、演奏曲はどうでもいいですかね。

とてもとてもムズムズする夜だったんですね。

と、言うのも、センスのある若手がいて、どういう選曲をしたらいいかなぁって変に考えてしまって。

僕が良くハマる穴に入ってしまいました。


お伺いを立てるのではなく、自分から攻めて行かなきゃ何も生まれないよなと、反省した次第です。

カバーはいらないからオリジナルをやってくれと言われたのは嬉しかったです。


なんか、とっても不完全燃焼でね。

もっと話したかったり、歌いたかったりしたんです。

ダラダラ会場にいついてしまって。

そこから、W さんというお初の方と、ずぅcとセッションを繰り広げてました。


ずぅcが無理難題を言うんです。

春をテーマにしよう、とか。リズムとかコードを飛び越えたところで歌いたい、とか。

できねっつの(笑)


でもそのムチャ振りを越えたところに見えるものがあるんです。

カッコつけて上手くやろうとする自分とか。

セッションはできないと決めつけている自分とか。


脱ぎ捨てていきたい。

お前は表現で何とかしていきたいんだろと。

自分の持てるもので勝負しないでどうするんだと。


奮い立たせてギターを弾いて歌ったよ。

もう、必死だった。

あー、なんか、なんかもっとやらないといけないんだ。


実力の無さを痛感する日は、とても悔しくてあたたかい。

2024年5月16日木曜日

そうだったのか

 今日は息子の機嫌が悪かった。


いつもは、眠いからママがいい、とか。

遊びたいからパパがいい、とか。

この動画が終わるまではお風呂に行きたくない、とか。

大体理由が分かるものなのです。


それにしても、機嫌が悪かった。

後々になれば「眠くて機嫌が悪かった」と分かったのだけど、今日は眠そうには見えなかった。何をしても納得してくれない。

本人もそれに気づいていないので、何を言っても、何をしても逆効果。

最後は泣き叫ぶ布団の上で、麦茶を御馳走したらストンと眠った。

ほとほと参って疲れてしまった。


我々もそうだが、自分のことを全て分かっている訳ではない。

なんとなく不安。

なんか、イライラする。


その理由をつかまえていられれば、多少は気が楽なのだけど、それが分からないからモヤモヤするんだよね。

息子もそうだったのかもしれないなぁ。


今、全てを分かろうとするのも、少し乱暴なのかもしれんね。

分かるのは、後々なのかもしれない。

2024年5月15日水曜日

ギリギリのところ

 先ほどまで寝ていました、野村です。

寝かしつけと共に、少し寝るつもりが爆睡。

気持ち良かったー。


いつも通り、ちょっと体調が悪かったんです。

喉が痛くてね。唾を飲むだけでも痛い。

そのせいで気分も落ち込みがちだったのです。

多分息子の結膜炎のウイルスをちょっともらったのではないかと思うのですけど。熱は無い。

少し今日の夜からマシになったような感覚があり、とても嬉しい。


やりたいことが沢山あるんです。

そのためには元気が必要です。

やる気も、元気も、健康な身体でないと湧いてこない。

せっかく湧いてきても、体調のせいでしぼんでしまう。

だから元気が必要です。


元気を出すために休みたいのです。

でも、容赦なく生活は襲ってくる。

元気がなくても自分のために、少し無理をする自分でいたいのです。


元気の無い自分がやれる最大のところ、ギリギリのところ。

楽なところでも嫌だし

無理するのも嫌だし

俺、偉いよなぁと思えるところ。


それを今日も探しているのです。

2024年5月14日火曜日

なるべく早めに

 どうも、帰省疲れが残っているよ。

野村です。


このブログを読んでいる皆様も少しお忘れかもしれませんが、息子が少し前に結膜炎になって、保育園に登園できなくなっていたんですね。

今日は仕事を夜勤にしてもらい、午前中に病院に行ってきた。

眼科から「登園許可証」を書いてもらい、病院が終わった足で保育園に向かい、そのあと、出勤した訳だ。


まず、日頃のリズムと違うのでとても疲れた。

今日は正直ゆっくり寝たかったりしたのだけどね。

それも叶わず。


いつも息子と過ごす時は休日なので、時間に追われることはほとんど無いのだが、今日は「なるべく早めに」病院に行き、「なるべく早めに」診察を終えて、「なるべく早めに」保育園に行って、「なるべく早めに」出勤したかったのである。

これがいかにストレスのかかることか、身をもって知った。


まず、朝食と朝の支度を病院に間に合うように済ませなければいけない。

息子がテーブルについてくれなくて困った。


次に病院では、息子がチョロチョロする。

呼ばれない。

自分一人ならスマホいじくりながらダラダラ待つのだが、息子が泣いたり動いたり笑ったり忙しい。

他の方の目もあるし、邪魔にならないように気を遣うととても疲れる。


保育園に11:00前には着いたのだが、全ての園児さんが出払っていて、残っているのは電話している園長先生と給食の栄養士さん?だけ。

え、俺預けて仕事いけるかな…と思う。


ちっぴーは毎日仕事前に保育園に息子を送り届けている。

遅刻してしまったり、時間給を使ったりするときもザラだ。

毎日どれだけのストレスがあるか僕にも分かったよ。

知っているつもりだったけどね。

より深く分かったよ。

勿論僕がやっていることをちっぴーがやったら、同じように思うのだろうね。


たまにはこういう経験もいいね。

いかに自分が自分のことしか見えてないかが分かるね。

2024年5月13日月曜日

近いから

 さて、帰省の4日間があっという間に過ぎてしまいました。

ゆっくりできたはずなのに、早いです。

野村です。

14:00ごろに福島を出発し、高速道路を走らせて帰ってきた。

行きは、沢山音楽を聴いて向かった訳ですけど。

帰りは、ちっぴーと結構話しました。

しかもかなり、深い話。というか、ずっと話せなかった話。話しづらかった話。

それこそ僕の独立を含めてね。


僕の気持ちって、実はちっぴーより皆さんの方が知ってたりするのかもしれないんですよ。


ちっぴーはやっぱり身内。

影響をダイレクトに受けるからさ。

「もう少し考えたほうがいいんじゃない?」とか「それは止めといたほうがいいんじゃないか」とか。

否定的なことも言うわけです。

逆に関係ない人はね。

「面白そうじゃん、やってみれば?」「そうなれたらいいですね」って言えるんです。責任無いから。

そうすると後者の方に本音を言いやすいのは当たり前だ。

心を許すのとは別の話なので、あしからず。

近いからこそ、遠慮しがちにもなるのよね。


高速道路の道中って、対面しないでミラー越しだっりする。

打ち明け話に最適だったりすんだよね。

今日の帰りの時間はとても貴重で、お互いにとって大切な時間だったと思う。


明日からもそうでありたいよね、できるだけ。

2024年5月12日日曜日

歴史

帰省も今日で三日目が終わりました。
早いなぁ。野村です。
ゆっくりできると思ったけど、ゆっくりさせてもらってるけど、あわただしく毎日が終わっていきます。
さっきまで爆睡。

今日は両親とみんなで温泉に来ています。
少し前に両親が飼い犬と一緒に泊まれるところを見つけたようで、そこに僕たち家族もお邪魔しました。
土湯温泉という温泉地に。

泊まっている場所は、一言で言うと「昭和」を思い出させる場所でした。
部屋の鍵はカードキーではなく、アナログのキー。
土湯はこけしが有名なんだけど、そのクオリティが年代を感じさせる。
変に洋風に寄せることなく、趣を和そのままにしている感じ。
現代の子には、これが逆にウケるんだろうなぁ。
僕としては非常に落ち着く佇まいでした。

多分最初から犬がオッケーな旅館ではなかったんだと思うんです。
他の温泉地や、土湯温泉の他の旅館に負けないように色々変化していったんでしょう。
夕飯の時間には90歳を超える大女将さんがご挨拶にいらしたり。
この場所に何年この旅館があるか分からないけど、こうやって人はここでも生きてきたんだね。
知らない土地でもずっと人は生きていて、生活をしている。
昭和を感じさせるこの場所に、なんか、それを感じさせてもらった。

歴史に残らない薄い毎日を積み重ねること。
それを実は歴史というのでしょう。